「J・ガイルのだんな……追ったか」

 足元に散らばるガラスの破片に知った姿のいないことを確かめ、ホル・ホースは視線を前へと投げた。

水気を含んだ地面にくっきりと残る、蛇行する轍の跡。
その続く先を目で追うと、既にスタンド射程距離の外へ出てしまったトラックの背が見える。

あれには現時点でのターゲットとその仲間……ポルナレフと花京院が乗っている。
取り逃がしてしまったことは失敗だったが、それでも『彼』が追うのであれば、ひとまずは焦る必要もないだろう。

「とことんポルナレフを始末する気だな彼は!」

ポルナレフと『彼』……J・ガイルの間にある因縁を思い、ヒヒと笑いが漏れる。

亡くした妹の為、ポルナレフは逃げたままでは終わらない。
J・ガイルもまた、逃がしたままで終わるつもりはない。
ここより離れた場所で2人が出くわし、互いにスタンドを向けた時、勝つのは。

考えるまでもないことだ。
首尾よくことを終えて『相棒』が戻ってくるのを、ジョースターと承太郎を討つ算段を調えながら、自分はここで待っていればいい。
その後は油断なく、慎重に。
全てを終えれば、この懐には大金が転がり込んで来る。
想像するだけで浮つきだす心を落ち着かせるように、ホル・ホースは足元に刻まれた轍を踏みつけた。

「アヴドゥルさんッ!!」

悲鳴にも似た声がした。
アヴドゥルの名を呼ぶ、聞き覚えのない女の声。

ホル・ホースが目を丸くして声のした方を振り返ると、背にした亡骸の傍に1人の女が膝をついていた。

「アヴドゥルさん……ッ!!」

流れ出た血に自分が汚れることも意に介さない様子で、動かない体を揺さぶり、悲痛な表情で何度も呼びかける。
ほう、と小さく声に出し、ホル・ホースは片眉を上げた。

どこぞの店員か、旅行客か。
ジョースター達とどこで知り合ったものかは分からないが、東洋的な顔立ちをした、長い黒髪が美しい女だ。
先日別れたばかりの貴族の娘ほどの華やかさはないが、見目は悪くない。
涼やかな目元が歪む様などは不思議な魅力でもってホル・ホースの目を惹きつける。

どこか見覚えがあるような気がしたが、その感覚を掘り下げるより早く、足は女に向かい歩を進めていた。

「お嬢さん、そいつはもうダメだ。死んじまってるよ」

近付きつつ、声をかける。
アヴドゥルを揺さぶる手の動きがぴたりと止まった。

「背中をナイフでぐっさりされた上に、眉間に一発、だ。助かるはずがない」

精一杯の憐れみを含ませた声音で、内心ではしたり顔で笑いながら。
ゆっくりと近付き、俯いた女の肩へ手を伸ばす。

「さあ、いつまでもそんな所にいちゃあ汚れるばかりだ。悪いことは言わねえ、こっちへ……」

触れ、引き寄せるよりも早く。
音がする程の激しさで、ホル・ホースの手が弾かれた。

「っ!?」

想定していなかった反応に怯んだホル・ホースの鼻先に、女が何かを突きつける。
片膝立ちで体を起こし、まっすぐ伸ばされた手の先に握られた小さく黒い物。
距離が近すぎて一瞬判別出来なかったが、ぼんやりと窺えた形状からそれが何であるかすぐに分かった。

「近付かないで」

手のひらに収まるサイズの拳銃。
その短い銃身をホル・ホースへ向けて、女は短く言い放つ。

「人が刺され撃たれたっていうのに冷静でいられる、貴方は何者?」

先程の悲痛な叫びが嘘かと思うような、ひやりとした声音。
銃口の向こうからこちらを見据えるのは苛烈な眼差し。
あまりの変わり身の早さに、一瞬自らのスタンドを発現して対峙することも忘れてしまっていたが、
同時にホル・ホースはあることを思い出していた。

女に覚えた既視感の正体だ。

ホル・ホースは確かに女を見ていた。
エジプトはカイロ、自分の雇い主の館で。

言葉を交わすことはなかったが、館で見かけた時の顔と今向けられている眼差しが脳裏で繋がったのだ。

「お前……」

ジョースターへ差し向けられたDIOの刺客、自分達の仲間。
そのはずである女が、何故アヴドゥルへ駆け寄り、必死で呼びかけるのか。

その戸惑いは言葉になる前に飲み込まれた。

「!……チッ、来やがったか」

通りに満ちる喧騒を抜けて、ポルナレフ、アヴドゥルと呼びかける声が聞こえてくる。
騒ぎを聞きつけて、ついにここを嗅ぎ付けて来たらしい。

女については気になるが、このままここにいては多勢に無勢、一時退却するのが良さそうだ。

じり、と後退する。
女は一度銃を握り直したが、引き金を引く素振りを見せない。
眼前の不審人物よりも気になるものがあるせいだろう。
まっすぐ向けられていた苛烈な眼差しが、退散の意思を見せた瞬間から傍らのアヴドゥルを窺い始めている。

恐らくはこのまま背中を向けたとて、撃たれるようなことはあるまい。
ホル・ホースは一歩、足を退く。
銃口は外されなかったが、それだけだ。

確信を持ち、ホル・ホースは背中を向けた。
逃亡ではない、一旦身を隠すのだ。
Jガイルがことを済ませ戻ってくるまで、ジョースターからつかず離れず様子を窺う為に。

雨にぬかるんだ地面を蹴り上げ、ホル・ホースは場を離れた。












2016.7.12
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