近くへサイレンの音が止まるのを聞き、
は覆いかぶさるように伏せていた体を起こす。
アヴドゥルは生きている。
が放ったその一言を受けて、ジョースターが呼んだ救急車が到着したのだ。
開けた視界、眼下には、未だ目を覚ます気配のないアヴドゥルが横たわっている。
そばには、先程まで自分が着ていたトップス。
止血用のガーゼ代わりとして傷口を押さえていた為に、元は淡い色の生地は重く血の色に染まっていた。
これはもう、洗ったとしても着られないだろう。
ぼんやりとした頭でそんなことを考え、駄目にしてしまったトップスを眺めていると、不意にばさりと音がして、
「わ、」
頭から降ってきた何かに、視界を黒く覆われた。
「いつまでぼーっとしてやがる」
見えない向こう側から聞こえる低い声は、空条のものか。
手探りで自分を覆うものの端を探り当て、まくり上げて顔を出す。
僅かな間遮られていた太陽の光に目を刺され、眉をひそめながら声のした方を振り仰ぐと、緑の瞳が
を見下ろしていた。
「みっともないぜ。それでも羽織ってな」
佇んでぶっきらぼうに言う空条は、いつもの学ランからタンクトップ姿へと変わっている。
必然的に見せつけられる、肩から腕にかけての高校生らしからぬ逞しさに、
はふと思い当たるものがあって手の中へ視線を落とした。
端を握ったままだった、頭からかぶさってきたもの。
改めて見てみれば、それは空条の着ていた学ランだった。
着ていた服をアヴドゥルの止血に使ってしまったので、今の
は上半身下着一枚。
腹を決めたこととはいえ衆目に晒すには気が引ける姿を、空条なりに案じてくれたのだろう。
言葉少なながらも貸してくれた学ランがその証拠だった。
「……ありがとう、空条さん」
ひと回り以上サイズの大きな学ランの
空条はこれには答えず、見下ろしてきていた視線を前方へと動かしたのへ、
もつられるように目を移す。
体を起こした新と入れ替わるように、数人の救急隊員がアヴドゥルを取り囲んでいる。
器具を広げ、状態を確認し、受け入れ先の病院を探す、連携の取れた動き。
が咄嗟に取った応急処置の何倍も頼もしく、見るだけで説明の要らない安堵感を与えてくれた。
彼らの邪魔にならないように、立ち上がって少しだけ後ろへ移動する。
まずは一安心かと、緊張状態から解放された吐息をひとつ。
気持ちを切り替えたところへ、ジョースターが近付いてくるのが見えた。
救急隊が到着するや、隊員の一人に事情を説明していたのを終えたらしい。
真剣な表情でまっすぐ向かってくる様子に、の胸を嫌な予感が掠めていく。
アヴドゥルの状態はそんなに悪いのだろうか。
不安から、羽織った学ランを握る手に力を込めながらジョースターを迎え。
「
くん、ありがとう」
「え?」
開口一番、ジョースターが告げた礼の言葉へ、は思わず訊き返し首を傾げていた。
「君がアヴドゥルの傷口を押さえていなかったら、失血で危なかったらしい。……アヴドゥルは、助かる」
君が頑張ってくれたお陰だと、ジョースターが真面目な表情をふと崩して笑う。
はそれを不思議な心地で見つめていた。
「私、頑張ったとかそんな……ただ夢中で……」
にわかにそわそわとする心。
アヴドゥルを助けたい一心で、それが正しいのかも分からないままおこなったこと。
押さえていても血は止まらず、指の間からじわり溢れてくる鮮やかな色に、自分の無力さを突き付けられた気がしていたが。
自分の行動は、その全てが無駄ではなかったのだと思っていいのだろうか。
救急隊の到着までアヴドゥルの命を繋げられた。
そのお陰で、アヴドゥルを救うことができるのだと。
「……良かった」
自然とこぼれたのは、そんな一言。
自分でも分かる明るいトーン。
「アヴドゥルさんを助けられたのなら、良かったです」
素直な気持ちのままジョースターを見上げると、何故か驚いたような顔をしていた。
そして二言三言、口の中で何かを呟き、にっと笑う。
「君はいい子じゃな」
「……いい子?」
『いい子』という突然の評価に再び首を傾げるだったが、ジョースターはこれには答えず、隣の空条へ目を移した。
「承太郎、わしはこれからアヴドゥルについて病院へ行く。おまえは
くんを連れてホテルへ戻るんじゃ。
花京院かポルナレフから連絡が入るかも知れん」
「ああ」
「まだDIOの刺客がその辺りにいるかも知れんから、十分注意するように」
「分かってるぜ」
先の意味を問えずにいるをよそに話はすすみ、まとまる。
下着姿で町は歩けないし、だからといっていつまでも空条の学ランを借りている訳にもいかない。
行方の分からなくなってしまった2人……花京院とポルナレフのことを考えると、
宿泊先のホテルで連絡が来るのを待つのは対応として適当だろう。
移動しやすいように、肩にかけていただけの学ランに袖を通しボタンを留める。
きちんと着てみると胴回りはぶかぶかだったし、身長差があるせいで裾を引きずってしまいそうだった。
高校生にしては過ぎる程に恵まれた体躯を持っている空条に、言いようのない感銘を受ける。
「おい、行くぞ」
つい、未だ剥き出しの二の腕へ視線がつられたタイミングで、空条から声がかかった。
別にやましいことはしていないのだが、低い声質から反射的に背すじが伸びる。
そうして動いた視界の先に、ジョースターが救急車の方へ戻って行くのが見えた。
ストレッチャーに乗せられたアヴドゥルは既に車内へ運び込まれている。
ジョースターも同乗していくのだろう。
みなまで見送るつもりはないのか、が視線を逸らしたほんの一瞬のうちに、空条はホテルへ戻るべく踵を返している。
「あ……ちょっと待ってください」
タンクトップ一枚になった空条に比べ、今のは身動きが取りにくい。
学ランをたくし上げ裾と丈を調節する時間が欲しかったので、正直に口にしたところ、
「……メンドーだな」
ぼそりと聞こえた一言。
その一拍のちには、空条が目の前に立ち塞がっており。
何だ、と思うより早く、壁のような体を屈ませたと思いきや、
「う、わ!?」
一瞬の浮遊感を覚え、気が付くとの視点は随分高くなっていた。
何が起きたのか呆気に取られている内に、目に映るものがどんどん一方向へ流れていく。
体に感じる一定の振動と宙に浮いた足、ついた手の下に感じる温かさ。
空条に抱え上げられたのだと気付くまでにそう時間はかからず。
「……空条さん!?」
「こうした方が早いだろう」
すぐさま発した抗議の声は効率を重視した意見に一蹴される。
「それはそうですけど!」
景色と共に流れていく人々がこちらへ向ける好奇の目。
効率を求めた代償に、ホテルに着くまでこの視線の数々に耐えろと空条は言うのだ。
一度は人前で下着姿になる覚悟も決めた。
耐えられる。
耐えようと思えば耐えられる、が。
「これは、すごく、恥ずかしいです……!」
服を貸してくれた優しさと、こうして運んでくれていることに感謝の気持ちはある。
しかしそれを上回る恥ずかしさはどうにもごまかしようがないのも事実。
ああ、こんな時こそ伝え聞くところによる自分の『姿を消すスタンド能力』を発動出来たなら。
都合のいい展開を望みつつ、叶うあてがないことに絶望しつつ。
は空条に抱えられたまま、ホテルまでの道をひたすらに耐えるしかなかった。