親愛なる蜀の国
赤壁で大勝を収め、蜀の地へ凱旋する道すがら、は常に劉備か諸葛亮の側にいた。
諸葛亮付きの軍師見習いとして蜀軍に迎え入れられたなら、その傍について回って動いた方が自然。
と、諸葛亮に提案されたからだ。
己が師とその上司、どちらかの傍に控えている姿を見せて回れば、他の者からも後々嫌疑をかけられなくなる。
先の事を考えてもその手段は有効に思えた為、素直に従った。
そうして従った上で、は何とも押さえがたい感動を覚えた。
師である諸葛亮ならともかく、君主である劉備まで自分の為に動いてくれている。
こちらの世界に来てから、否、来る前からゲーム画面の前で何度も与えられてきた思いだ。
人民を統べる立場に驕ることなく、身辺以上に広がる視野を以て民のことをも考えられる度量。
さすがは筵売り出身というべきか。
漢室復興という大義の前に、国を支える人々がいる事をよく理解し、経験を見事に生かしている。
……のでは無かろうか。
政治に携わる人達の考えなど自分には全く分からないが。
その劉備が治めている蜀とは一体どんな所なのか。
まだ目にせぬ蜀の国に思いを馳せると、知らず心が浮き足立つ。
「随分と楽しそうだな、」
わくわくしているのに気付いて、側にいる劉備が声を掛けてきた。
劉備は馬に乗っているがこちらは徒歩である為、見下ろしてくる目には大分高さがある。
一部の者の特権である馬、その貴重なものを、劉備は自分にも用意してくれようとした。
その心遣いはとても有り難かったが、周囲の目というものもあれば、謹んで遠慮した。
文字通り降って湧いた小娘がいきなり乗馬を許されたとなると、心の狭ーい人は快く思わないだろう。
そもそも乗馬が出来ない。
加えて、にしてみれば歩くのは苦ではない。
主観的にも客観的にも馬に乗る必要性を感じないから、劉備が随分と気にかけてくれるのを笑ってかわし、馬は断った。
というより、馬なんかの上でじっとしていられない程、今のは浮かれぽんちなのである。
裸足では辛かろうと劉備がくれた靴が非常に歩きやすく履きやすいのも浮かれ具合に拍車をかける要因だ。
スニーカーなど運動用の靴というものが無い時代でどうかと思ったが、なかなかにこの時代の物も侮れない。
いやいやそんな事より今はようこそ蜀の地。
「そりゃあもう!劉備様の国へ行くんですものー蜀漢ファンとしては心躍らない訳がないです!」
「む、よ、『ふぁん』とは何だ?」
「扇風機?」
浮かれすぎた心持ちは尊敬する劉備にさえ嘘を教える。訂正する気はない。
間違った知識を植え付けられたとは知らず素直に納得する劉備についときめいたからだ。
続いて初めて耳にした「扇風機」という単語の意味を問われ、ときめきのままに劉備にも分かるような説明をした。
曰く、「人力を使わない扇」。
浮かれぽんち故にファン=扇風機という図式を植え付けた癖に、今度は分かり易く且つ正しい意味を教えるとはどういう事か。
そんなの自分に分かる訳が無い。
全ては本能の赴くままに紡がれた言葉だ、それが間違いだと訂正出来る人間はいない。
人力を必要としない扇という何とも想像しがたい不可思議な存在。
そんな物がある事を知って、しきりと感心した様子を見せる劉備の目が、ふと正面を向く。
「おお、見よ、あれが分かるか?」
何かを捉え、みるみる笑顔になったかと思えば、自分も正面を見るように促された。
ついつい和んでしまうような笑顔を向けられてそれに見とれていたのを、何とか切り替えて素直に従う。
先程まで劉備が捉えていた正面の全景を、自分も目に入れ。
刹那、視認できたのは地平線に低く広がる遠い影。
それが街を擁する城壁の輪郭だと気付くまでにどの位かかっただろうか。
「あれがそなたが『ふぁん』だと申す、蜀漢の地だ」
『ファン』の一件とは逆に、影の正体を教えられたは一瞬言葉を失った。
赤壁を発って幾日か、日数を数えていなかったのでどの程度の距離を行軍したのか分からないが、相当の時間をかけて辿り着いた地。
漢室復興の第一歩として、劉備を始めその傘下に集った者達が築いた国、蜀。
まだ遙か遠くではあるものの、目の前に広がる街の影がその国だと知って。
奇声を上げがちのにしては珍しくまともに、黄色い声を上げたのだった。
「…む?は蜀漢の扇…?どういう意味なのだ?」
『ファン=扇風機』の翻訳では意味の通じない事にようやく気付いた劉備が首を傾げていても、目の前の光景に驚喜しているは全く気付いていない。
この時代を生きている人に比べたら断然暢気な思考回路を持つ自分。
かつ武術や戦術といったものを一切身につけてないのが一目瞭然な立ち振る舞い。
加えて軍列には似つかわしくない女という性別。
軍の中に紛れているとどうしても悪目立ちしてしまう。
注目の的になるのは好きではないが嫌いでもないし、特に苦手という訳でもないが、こういう目立ち方は勘弁願いたい。
という事で、城の敷地に入り整列した蜀軍から一人離れ、は広場の隅の方に移動した。
一糸乱れず並び立つ甲兵、その先頭には今回の戦に参加したらしい武将達。
戦の締めを待つ彼らの姿を、城内に植えられていた樹の傍に寄り添って眺める。
幾多の人間が視線を向けているのに倣うように目を動かすと、一段高い所に立っている人。
彼らの君主、劉備玄徳が視線の中心で行っているのは、勝利を収めた国主としてのスピーチ。
の大好きな彼の笑顔は控えられ、君主としての厳然たる雰囲気を纏っている。
場が場ということもあって控えめではあるが、それだけの事でもうは躍り出したくなる心情である。
「カッコいいなぁ…殿…!」
民の為に乱世を終わらせ、漢室復興を遂げる。
その大望を見事に体現しているような、何とも頼もしい劉備のスピーチ姿。
三国の内、国力は決して強い方だとは言えないけれど。
その志に、彼が壇上で放つ威厳や威光に、改めて蜀の為に働く事を誓いたい程だ。
ああ もう 。
今更だけど蜀の為に働けるのが改めて嬉しい。
どういう理屈だか知らないけれど赤壁かつ蜀陣内に落ちて殿に拾われた自分万歳!
って実際は諸葛亮に拾われてるけど!!気にしない!!
延々様々な事を考えている内にひとりでに感極まっていく。
劉備の話の途中という事で声を出さないように気をつけていたが、こればかりはそろそろ限界が近づいていた。
蜀の国にやってきたという喜びと、これからこの地で自分が暮らしていくのだという期待。
色々全部引っくるめて内から湧きだしてくる希望を何でも良いから声に出しておきたい。
でないと一人で身悶えているとっても危ないお嬢さんが出来上がってしまう。
溢れんばかりの思いの丈を吐き出そうと口を開く。
劉備や他の兵達の真剣な場面を邪魔しないように音量を抑える心遣いは忘れずに。
両手はグーで、力を込めて。
「あーっ!大好きだっ蜀っっ!!」
それ一つで全ての感情を表現できる言葉を、密やかに叫んだ。
「お待たせしました、殿。参りましょうか」
凱旋後の集会も終わり、各自が国での持ち場に戻り始める。
ある者は城内へ、ある者は町へ。
指揮権を持つ将軍職らしき者はそれぞれ兵に指示を出したりと、「国」として動き出した人々を、は木の下に座って眺めていた。
その内に指示を一段落終えたらしい諸葛亮が近づいてきたので、埃をはたいて立ち上がる。
「はーい。諸葛亮さんのお仕事はもう良いんですか?」
「良くはありませんよ、今日からしばらく徹夜が続くでしょうね。殿を案内し終えたらすぐに仕事に戻ります」
「……あー…何かその、大変申し訳ございません」
いつもの涼しい顔で「仕事沢山あるんだぜコノヤロー☆」と返され、思わずは頭を下げた。
戦が起きれば城の人間は必要最低限の人数だけ置いていなくなるので執務は滞る。
そこで溜まった仕事を消化しなければ行けない諸葛亮の貴重な時間を、自分の為に割かせるとは。
思わず頭を下げたのは、諸葛亮本人への申し訳なさ。
それと、彼を付き合わせている相当贅沢者な自分から世の諸葛亮ファンの方々への詫びの為。
比率を聞かれたら圧倒的な差で諸葛亮ファンへの詫びが大半ですと断言する。
内心はどうあれ、多方面への申し訳なさで頭を上げられないでいると、諸葛亮から顔を上げるよう促された。
「謝ることはありません、貴女のことも今回の戦後処理として、私の仕事に含まれているのですから」
「…そうなんですか?」
そうなんですよ、と上目遣いで窺った先で肯定される。
涼しい顔は相変わらずだが、口元にうっすら微笑を見せてくれたので少しだけ気が楽になった。
踵を返し先を歩き出す諸葛亮の後ろを、気が楽になったついでにいつもの調子を取り戻してぴょこぴょことついて行く。
……こちらに来てから常々思っていることだが、諸葛亮の滑るような足運び。
実は2,3センチ浮いているんではないかと、目下興味の対象だ。
「ところで今更なんですが、私はこれからどこに連れてかれるんでしょう?」
目線は諸葛亮の足下のまま固定して、ひとまず当面の行き先を尋ねる。
諸葛亮の進行方向から推量して城に向かっていることは分かったが、そこから先はどこへ行くのか。
三国時代の知識の大半は無双から得たが、ゲームでもさすがに城内のマップはお目にかかったことがない。
全く未知の領域に足を踏み入れようとしているにとって、城の中とは随分と興味をそそられる。
後方、やや下方からの問いに、諸葛亮が肩越しに振り返るのが視界の端に見えた。
足下を見遣っていた目を上げて、やや歩くスピードを緩めた諸葛亮と目を合わせる。
「これからしばらく、貴女の世話を任せる方のところへ」
の目を見つけた諸葛亮は一言、そう答えた。
ようやく始めました無双夢二章!!これからしばらく蜀のお話となります!
初っ端からヒロイン大嘘こいてますね。殿になんてことしてるんだお前……!!(書いたの自分ですよ
後半はちょっと序章のハイテンションぶりがなりを潜めてますが、今後いつものノリを炸裂させる場面をもりもり盛り込む予定です。
今後に期待!しててくれると嬉し!!
戯
2007.9.6
2007.12.24 加筆修正
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