第二のお母さん















 蜀軍が凱旋したとの報せを聞き、月英は執務室へと赴いていた。
彼女の夫、諸葛亮孔明が、各人に指示を出した後まず戻るだろうこの場所で、彼の帰国を迎えるつもりであった。
妻としての意思が働いた結果であると同時に、前もって書簡で指示されていた事でもある。

呉との連合で魏を迎え撃った赤壁の地。
そこで出会ったという稀有な者に会わせたいということらしい。
他者に漏れぬよう内密に、という指定付きで。

書簡に書かれた額面通りに受け取れば、会わせたい者というのは優れた才を持つ軍師の卵、という事らしいが。
月英の目はその当たり障りのない文面の奥に隠された真意を読み取っている。
他に漏れるのを恐れて、書簡にもしたためられない事柄が、そこには込められていた。

だから、執務室は夫婦二人きりで会いたいというのを口実に既に人払いをしてある。
帰還した諸葛亮が、すぐにでも本題に入れるように。


その時、二、三度扉を叩く音がした。
次いで、月英の名を呼ぶ夫の声。
耳に馴染んだその音に僅かに顔を綻ばせ、入室を促す旨を扉の向こうに投げ掛ける。

程なくして、扉が開かれた。

執務室の机の傍に佇み、現れた姿が扉を潜りきるのを待って、


「お帰りなさいませ、孔明様。」


互いの視線が交わった所で、拱手して軽く頭を下げた。
すぐに顔を上げると、微笑を浮かべる諸葛亮の面に出会う。


「只今戻りました。……息災のようで何よりです、月英」
「孔明様こそ、ご無事にお戻りなされて安心いたしました」


束の間の夫婦の会話。
互いの無事を確かめ合った所で、先程から心の何処かにあった緊張が解れていく。

書簡や伝令がいかに孔明の無事を伝えてこようとも、やはり自分の目で確かめるまでは真に安堵などしようがない。


      本当に 良かった


ほっと肩の力が抜ける。
抜けた所で、ふと諸葛亮の後ろに控えている者の姿に気が付いた。

どこの民族か、変わった作りの衣服を身に纏った娘、である。
何がそんなに珍しいのか、口を「お」の字に開けたままこちらを凝視している。

……状況から考えてみるに。
人払いをした執務室に諸葛亮が連れてきたこの娘が、もしや例の書簡に記されていた稀有な者なのだろうか。


「孔明様、もしやそちらは、書簡の……?」
「ええ、その通りです。……驚きましたか?」
「正直に申しますと、少しだけ。まさか……娘さんだとは思いもしませんでしたから」


軍師の卵、というからには、まだ年若い少年だとばかり思っていた。
軍と言えばその構成は殆どが男で、自分のように女の身で武器を振るう者など珍しい。
ましてや女性が軍師として見いだされるなど、まさに前代未聞。

いかに才があろうと、女であるという事から反感を買う事もあろう。
諸葛亮もそれに関しては十分分かっている筈だが、しかしそこを押してまで登用した娘。

少なからず興味が湧く。


「初めまして。私は黄承彦の娘で、月英と申します」


まずこちらから名乗ると、諸葛亮の後ろに控えていた娘ははっとした顔をして、慌てて前へ出てきた。
そしてぎこちない動作で拱手……ただし手の重ねが逆のもの……をして、ぺこりと頭を下げる。


「あ、っと、と申します、初めまして!?」
…変わった発音ね。生まれはどちら?」
「はい、こっちでは倭と呼ばれている、海の向こうの国ですっ」
「まぁ、海の向こうから…ここまで来るのは大変だったでしょう」
「…えぇ、まぁ……」


言葉尻が濁る。
答えにくい質問だったのだろうか。

得に質問内容に問題点は感じなかったのだが、娘の反応を見て僅かに首を傾げる。

すると、娘が前に出てきたので一歩引いた形になっていた諸葛亮が、再び前へと出てきた。


「そこからは私が答えましょう。そして月英、貴女にはその事を踏まえて、殿の世話役を頼みたいのです」


彼の眼差しを受けて、表情を引き締める。

言い淀んだ娘を助けるように後を引き受けた諸葛亮。
恐らく、自分が『』に尋ねた辺りから、書簡に書かれなかった極秘の内容に関わっていたのだろう。
知らず知らずの内に自分から話を導いていたようだ。

聞く準備が出来たと態度で示す。
諸葛亮は小さく頷いた。


殿は、実はこの時代の人間ではありません。違う国、違う時から来てしまった方なのです」















 という人間に関しての説明をし終えた諸葛亮は、「くれぐれも頼みましたよ」と言い残して部屋を出て行ってしまった。
何でも、今後の動向について劉備と話し合わなければならないのだとか。
丞相という立場にあるから当然やらなければならない仕事なのだろうが、大変そうだな、と漠然と思った。


「先の世からたった一人でここに来て、随分と心細いでしょう。これからは分からない事があったら何でも聞いて下さいね」


諸葛亮が出て行ったドアが閉まるのを見届けた所で、月英の優しげな声がした。
顔をドアから部屋の内部に戻すと、にっこり笑う月英に出会う。

まさか蜀に来て初めて出会う無双キャラが月英だとは想像していなかったので、ここに連れて来られた当初は心の準備が出来ていなかった。
驚きが感激を凌駕して、声を出すのも忘れて不躾にも凝視してしまったけれど。
勢いのままに挨拶を済ませてしまえば、本調子を取り戻すのも早い。


「はいっ!蜀の為に頑張りたいと思いますので、よろしくお願いしまっす!」


徐々に上がってきたテンションに任せて敬礼してみせると、その行動が余程変だったのか、おかしそうに笑われた。

その声、その表情、その格好。
うーん、まさに私の理想のお母さん。
ちなみに理想のお父さんは劉備だ。

蜀で第二のお父さん、お母さんに出会いました。わーい。

頭の中にお花が飛ぶ幸せ時間を満喫した所で、ふと思考回路を現実に戻す。


「…あの、月英さん?」
「何かしら?」
「何でも聞いて下さいね、との事なので、唐突で非常に申し訳ないんですが」


劉備や諸葛亮と、赤壁の地から長旅を共にして。
成都へと至った直後、月英とも出会えた。
それらはすっごく嬉しい。

嬉しい事なのだが。

今後、他の蜀勢力の武将の方々とどんどん知り合いになる期待を胸にすると、一つどうしても気になる事がある。
物凄い個人的な事なので、月英に最初に頼むのがこれであるのが非常に憚られるけれど。


「構いませんよ。何でも言って下さい」


優しい言葉に甘えて、意を決して口にする。


「体洗わせて貰えませんか?」


凱旋中、砂埃の吹き荒ぶ平地を歩き続け。
髪も顔も服も砂っぽくなっているのに、風呂なんてそうそう用意できる物でもなく。
長旅には貴重な水の節約、これも一つの修行だと自分に言い聞かせて、濡らしたタオルで体を拭く程度で今まで我慢してきたけれど。

これから蜀武将の方々とお知り合いになるのに、埃まみれなんて。
もうさすがに我慢の限界だった。

呆気に取られてしまうかとどきどきしていたが、


「長旅でしたものね……すぐに埃を落としたいでしょう。分かりますわ、その気持ち」


意外にもあっさり納得、了解してくれた。
劉備達が意思を汲んでくれないという訳ではないが、やはり女性同士の方が通じやすいものがあるらしい。
にっこり笑いかけてくれて、お湯の準備を言い付けに執務室を出て行ってしまった。
てきぱきとしたその行動の速さと言ったら、


      やっぱり 理想のお母さんなんだよなぁ


いや、母親と言わず寧ろ嫁に欲しいぐらいだ。
あんな人を嫁に貰うなんて、羨ましいぞ諸葛亮。

うっかり諸葛亮に軽い嫉妬を覚えつつ、一人執務室に残されたはぐるりと室内を見渡す。

ここで月英の旦那の諸葛亮がいつも仕事をしているのか。
いつも羽扇とセットのイメージが強いが、代わりに筆だの判子だの持っている姿を想像してみると、何となく感慨深い。

多分そんな事を思うのは想像であるからで、本人を前にしたら物珍しさの方が先行するのだろうが。


「……あれって書類かな」


筆を持つ諸葛亮の姿を想像した所で自然と目が行った、執務机。
その上には書簡が積まれている。
あれが赤壁に赴いている間に溜まった政務だろうか。

内一つが中途半端に開いていたので、机に近づいてその内容を覗き見てみる。

勿論返り点も送り仮名も振られていない漢文なんて、一字一字の漢字は読めてもその意味までは分からない。
分からないながらに、これを無理に読もうとしたら、本来の趣旨からは60度ぐらいずれた方向で解釈する事請け合いだ。

漢字が並んでるな、と認識した所で、は書簡から目を外した。
内容が分からなくても、国事に関わる重要なものが書かれていたりする物だったら、やはり覗くのも抵抗がある。
人の目は無いが何となく悪い事をしているような気分になったので見るのをやめた。

そうして、書簡を見ないとなると、執務室の中は一通り見てしまった事になる。
そもそも仕事をするだけの部屋にそうそう面白い物が置いてある訳ではない。
途端に、手持ち無沙汰になってしまった。

月英は何処まで行って、いつ戻ってくるのかは分からない。
そのいつまでとも知れない時間を無為に過ごすのは、何となく自分が許さなかった。

ここは何処だ。
蜀漢の成都城だ。
成都城なんて、そんな魅力一杯の城にいるのにただ大人しくしているなんて出来ようか。
出来る訳がない。
蜀に足を踏み入れた瞬間から、テンションゲージはいつでも振り切れる気配満々だ。

残念な事に、一人盛り上がるに歯止めを掛けるような、行動を見ている人間が傍にいない。
一人で盛り上がった感情は、三國無双に捧げる愛の望むままに、


執務室の外へと、興味の対象を移していった。




















ひっさびさ更新です。間が空きすぎてこの連載での文章の雰囲気忘れかけてました。
今もまだ思い出しきれてない感じがするけど…まぁ月英をお母さん認定する辺り我が家のヒロインらしいんじゃないかな、と。(?
歳とかそう違わない癖にね!良いんだよ無双4の月英は母性丸出しで!
しかし無双5の月英は年相応というか、若返りましたよね。
可愛くて良いんだけど、月英に対しお母さんなイメージがあったのでちょっと残念だった。

体を洗いたがったヒロインが、お母さんの目の届かない所で一人歩きを始めたようです。
ダメだよお母さん、小さい子の手はちゃんと繋いでおかなくちゃ(誰だ小さい子

次は誰が出てくるかな。



2007.12.24
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