不義の男
ぎぃ、と重い音を立てて、執務室の扉が開かれる。
出来た隙間から顔だけ覗かせて、廊下に人がいない事を確認。
人影無し。
はもう少しだけ大きく扉を開けて、そこから体を外に滑り出させた。
「お邪魔しまーす…って何か変だな」
部屋から外に出たけれど、出た先もまた人の家の中。
そんな状況での「お邪魔します」に何となく変な感じは覚えるものの、他に適当な言葉も思いつかない。
人がいないのに礼儀正しく一声掛けた自分の行為に、人がいないから仕方なく自分でツッコミを入れておいた。
ほんのりと空虚な風が胸の中を通り過ぎるのに、気付かなかったふりをして。
は一度、自分の周りの風景をぐるりと眺め見渡す。
高い天井、大きな柱、真っ直ぐ伸びる長い廊下。
建物の構築は殆ど石造りのようだったが、木造の部分も見受けられる。
そうして目に入る物は、一目見て「あ、中国だ」と分かるような色調に統一されている。
中国なんだから当たり前か、などと、またツッコミを入れながら、廊下の続くままふらりと歩き出す。
「広ーい……ホントにお城だーすごい…」
カーテンのようなものに目を留めたり、柱に彫られた紋様を眺めたり。
ゆっくりまったり歩きながらも、目は忙しなく動き続けている。
目に付く物のほぼ全てが見た事もなく新鮮で、なかなか楽しい。
ゲーム中では屋外での戦闘がメインだ。
だから無双の世界にある建物の内側を見られるという、非常にレアな体験を自分はしているのだろう。
羨ましいだろうと、自分が元いた場所にいる無双ファン達に、心の中で自慢する。
壁を穿つように作られた窓へ歩みを寄せた。
城の庭の様子が、そこから垣間見られたので、少しの間足を止める。
劉備や諸葛亮にしてみれば、城のこんな景色なんて日常的なものなんだろう。
その、彼らにとっての日常を、今自分が見ている。
世に名を遺した人達が過ごした城に、自分がいる。
彼らがいる時間軸を共有している。
羨ましかろうと、再び無双ファン達にむけて自慢。
「うふふー、良いですなぁ」
自然とにやついてしまうのも仕方ない。
今日から、いつになるか分からない「現代へ戻る日」まで、ここで彼らと生活を共にするなんて事になったのだから。
嬉しさのあまり、うっかり身を揉んで廊下をでんぐり返ししたくなったが、何とか堪えた。
やり遂げましたぞ殿!は我慢しました!
「……よし。」
我慢の子我慢の子、と言い聞かせて気合いを入れる。
まだまだ城内散歩の先は長いのだ。
城の構造とかだけで身悶えてるようじゃこの先が思いやられるぞ!!
自分への気合い注入完了。
足を止めてしまったので、仕切り直しとばかりに軽快に窓枠を叩いて。
「見慣れない格好だな」
「ごぁっ!!?」
真後ろから聞こえた人の声に、とんでもなく驚いた。
体と心臓が跳ね上がる。
け 気配を感じなかっただと …… !?
背後を取られ声を掛けられるまで存在に気付けなかった事実に、凝然と立ちすくむ。
…ちなみに思考に大した意味はありません。
気配読む術なんて心得てませんしテンション上がりすぎてて足音とか聞こえてなかっただけだと思います。
何かそれっぽいシリアスな事言ってみたかっただけですすいません。
誰に対してか分からない謝罪を心の中で入れつつ、巫山戯た内心とは裏腹に、は固唾を呑んだ。
突然の人の出現に、窓の外を向いたまま驚きで振り返れないのは本当だ。
相手の顔も見られず、緊張と脈拍ばかりが高まる中、は相手の出方を待つ。
「女官ではないようだな。その格好は何だ。こんな所でふらふらと何をしている」
答える間も無く質問を重ねられ、ぽんと手が肩を叩いた。
思わず悲鳴を上げそうになるのをぎりぎり喉の奥で堪え、そして小さく深呼吸。
大丈夫、落ち着けば答えられる。
背後の人が質問してきた内容は全て、自分が成都に着くまでの間、諸葛亮を相手に散々練習してきたものじゃないか。
練習した通り答え、怪しい奴じゃない事を誠心誠意話せば、いきなりぶった斬られるような事はない筈。
大丈夫。
大丈夫。
時間にしてみればほんの数秒。
その程度では到底胸の動悸は抑えられなかったけど、大分冷静になる事は出来た。
だから、質問に答えるべくゆっくりと後ろを振り向き、
「わ、私は今度の戦で……ぇ」
背後にいた人が誰であるか確認した途端、冷静さなど瞬時に吹き飛んだ。
半端に口を開けたまま、凝視してしまったその姿。
まず目に付いたのは、頭の被り物。
白くてモサモサしたものが生えている帽子のようなものに、前面についているのは生き物の顔のようなもの。
金色で角のある、金属で出来たそれは、龍を模したものだとすぐに記憶が訴えてきた。
インパクトがあるその被り物に十分目を奪われた所で、ようやく気付くその下の顔。
彫りが深く、きりっとした目の、整った顔立ち。
「戦で……何だ?」
おまけに、この声。
これだけ特徴を並べられて、この自分に分からない筈はない。
蜀の五虎大将軍の一人に数えられ、「錦」の字で名を飾られる勇将。
馬超孟起、その人。
「ばっ………」
名前を口に出しかけて、すんでの所で止める。
そりゃ、蜀に来たからには蜀の武将キャラ全員とお近づきになりたいと思ってたけど!
こう、不意打ちで来られても困る訳で!
あああ私を怪しんでるんだろうな、真面目な顔が格好いいじゃないか畜生め!!
心の準備が出来てないぞどうする!?
突然現れた男…馬超の顔を凝視したまま、の頭脳がフル回転する。
馬超の方も視線を逸らさず、が何か答えるのを待っている。
お互いに見つめ合っているという空間に何を感じたものなのか。
肩に掛かっていた馬超の手が、の頬にそっと触れて撫でていった時。
の心が決まった。
「また次回!!!」
「何っ!?」
それはもう素晴らしい速さで、が逃亡の為のスタートダッシュを決めた。
後ろに馬超の驚きの声を置き去りにして、ひらすら走る。
といっても、相手は武将。
呆然としていて咄嗟に対応できなかったが、我に返ってしまえば、
「待てっ、逃げるな!!」
「いや っっ!!!」
当然、先に走り出された不利を挽回し、逃がすまいとして追いかけてくる。
しかも鍛錬や実戦で鍛えられた体は走るのも速い。
追いかけながらじわじわと空いた距離を詰めてくる馬超の魔の手にかからないよう、は全力で走った。
広いし右も左も分からない城内を縦横無尽に。
途中ですれ違う、何事かと目を丸くする人々の視線も振り切って。
「殿!?」
途中で誰かに名前を呼ばれた気がしたが、気にしている暇なんかない。
「わわわ私怪しい奴じゃありませんから追いかけて来ないでぇぇぇえ怖ぇぇぇっ!!」
「怪しくないというなら何故逃げるんだ!!」
「追いかけて来るからぁぁ!」
「逃げるから追うんだろ!」
「じゃ、じゃあ逃げないから止まって下さい!!」
「止まったら逃げられるだろうが!!」
「そっちが止まったらこっちも止まりますよぉぉぉぅ!!」
「ならそっちが先に止まれ!!」
「追いかけてくるから無理ぃぃぃぃぃっっ!!」
堂々巡りのやり取りをしながら、さながら人間カーチェイス。
逃げるのに必死で、今自分が何処を走っているのかも分からない。
ずっと走り続けているから、もう息が苦しくて仕方ない。
でも馬超が止まってくれないから自分も止まれない。
ああ無間地獄。
「よし分かった、こうしよう!一、二、三で同時に止まろう!」
劉備が両手広げて待っているお花畑へ逃避行しようとした時に、天啓とも思える馬超の声。
はっとして意識を現実へ引き戻す。
そうか、同時に止まれば問題解決!
の目に希望の光が灯る。
「わ、分かった!」
「行くぞ!一、二……三!!」
びたっ!
がしぃっ
かけ声に合わせ足を止めるの背中の方から、大きな固まりがぶつかってくる衝撃。
次いで足が宙に浮く。
「ぎょあ っ!!?」
「……本当に止まる奴がいるとは思ってなかったが………言ってみるもんだな」
馬超の言葉に素直に従って。
宣言通りに止まってくれなかった馬超に、ものの見事に捕獲されました。
「ううう嘘つきぃぃぃ!!!」
馬超を批難してみた所で、捕まってしまえば最早何の意味も持たない。
ああ、素直な自分のお馬鹿。
自分への落胆と全力での激走もあって、は馬超に抱えられたままがっくりと肩を落とした。
「この俺と走りで張れる女がいるとは驚いたな……お前、名は?」
「です……うぅ、騙し討ちなんて酷い…不義だ…」
「目の前で逃げ出した不審者を放置は出来ないだろうが……あー、?」
「で良いっすよ、長くて言いにくいだろうし」
「なら、。お前は何者で、何故俺の前から逃げたりした?」
「赤壁の戦で諸葛亮さんに連れてきて貰ったんです。逃げたのはさっき言った通り心の準備が出来て無くて……」
抱きかかえられた体勢のまま職務質問。
そうしている最中、何とも言えない違和感を覚えた。
違和感というより、何だかこそばゆくなるような感じ。
異様に、馬超の声が近くで聞こえる気がする。
後ろを振り返れないので実際どの程度の距離なのか分からないけれど、これは絶対に近い。
だって喋る度に息が首筋にかかるんだもの。
やめてくれ、お風呂だってちゃんと入れてないんだから!
「あの、そろそろ放して…」
「殿!ああ馬超殿も!良かった、やっと追いつきました……」
急に、馬超よりも後ろの方で、聞き覚えのある声がした。
別れて間もないのだから忘れる筈もない、月英の声だ。
何だかお母さんに迎えに来て貰ったような気分になる。
「月英殿。こいつを知っているのか?」
「ええ、孔明様の弟子…という事になりましょうか」
「そうか…執務室の辺りをうろついていたものだから、身分を問おうとしたのだが……」
逃げられたのでつい深追いしてしまった。
デッドヒートを繰り広げる二人を道のどこかで見かけて追いかけてきたらしい月英に、馬超が事情を説明する。
その間に、馬超の手がを床へ下ろした。
心底ほっとしながら、ようやく後ろを振り返る。
少し息切れしながらも、気遣わしげにこちらを窺ってくる月英が見えて。
自分と月英との間に馬超が立って、こちらを見下ろしてきていた。
怯む。
そのの耳許に、馬超が口を寄せてきて、囁く。
「今宵。気があれば俺の部屋へ来い。良いな?」
「は?」
言われた意味が分からなくて。
呆気に取られている内に、視界の中の馬超の頭が下がってきて。
首筋に、何かが触れる感触。
えーと、位置関係からしてあれだろうか。
馬超の、口?
「お」
「身元が保証されているなら、俺はこれ以上用はない。ここで失礼させてもらおう」
「ええ、それではまた……」
声が出ないうちに、馬超と月英の間で短い別れの言葉が交わされる。
月英は、何事もないと言いたげなごく普通の顔でこっちを見ている。
月英の位置からでは、今起きた事が見えなかったのだろうか。
馬超も、何事もなかったように、の横を通り過ぎていこうとする。
その顔を上目遣いに窺えば、見えたのは流し目でこちらを見返してくるのと、口元の笑み。
どうにも、自身に満ち溢れて見えるその態度が、無性に小憎らしくて。
「不義……!!」
近くにいる月英にさえ聞こえないような小さな声で、ささやかに反抗してみたのだった。
ばちょさん自信満々ですね、分かります。
武将(しかも馬超)を相手に人間カーチェイスなんて、一般人の限界に挑戦してるとしか思えない。
久々更新『天を運ぶ者』。ばちょさん初登場。
ほら、ばちょさんイイトコのボンボンぽいし!(?)誘って断られた事が無ければいいよ!!はっ倒すよ!?(何
戯
2008.5.24
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