聞き慣れない調子で奏でられる、誰かの鼻歌。










深窓の姫君















 徹夜明けでふらふらする頭を抱えて、姜維は城の敷地を歩いていた。

己が師の諸葛亮が、国主劉備とともに赤壁の地より無事の帰還を果たした。
久し振りに師に付いて学べるという喜びが先に立って、少々無理をしてしまったようだ。

今からでは仮眠を取る時間もそう無いだろう。
眠さはあっても、仕事を休む気にはならない。
眠気以上に諸葛亮から様々な事を学び取りたいという思いがあるからだ。


「とりあえず、部屋に帰って……」


着替えだけでも。
そう考えて、城に与えられた自分の部屋へ向かう。
城の中を行った方が早いが、朝の涼やかな空気で頭をすっきりさせたくて屋外を歩いた。
頬を撫でる風が心地よい。
けれど頭の芯にはいつまでも眠気が残り、我慢しきれず出かかった欠伸を一つ、噛み殺す。

その眠さの中にあってはっきりとしていた聴覚へ、音が届いた。

欠伸を噛み殺し涙の滲んだ目元を拭いていた所で耳に届いてきたその音。
何の気なしに、耳を澄ます。

聞き耳を立ててみると、それは誰かの鼻歌のようだった。
城には楽を嗜む者が多くいて、姜維はそれらの人の演奏を聴く機会に何度か恵まれた事もあった。
今聞こえてくる旋律は、これまでに聴いたどの曲とも似つかないものだ。

茫洋とした頭が、好奇心を訴える。
楽への熱意は強い方ではないが、無意識の内にふらふらと、鼻歌の聞こえる方へと足を向けていた。




鼻歌は、開け放たれた窓から聞こえている。
足の運びを緩めながら、見えてきたその窓を窺うと、一人の女官がぼんやり外を眺めていた。

足を止めた拍子に、沓の下で軽く砂利の擦れる音。

音に反応したか、ぼんやりとしていた女官の目に生気が戻る。
姜維の影に気付いたらしい、はっとした顔が姜維に向けられた。


「おはようございます」


目が合って無言で立ち去るのもどうかと思ったので、朝の挨拶を一つ。


「あっ、おっおは、…おおっ!?」


尋常じゃない程に慌てた反応につられて、自分も少し慌ててしまう。


「お、落ち着いて下さい!ほら、深呼吸…」


しかしここで二人慌てていても仕方がないので、女官を落ち着かせようと試みる。
言葉と共に、身振りでも深呼吸を促す。
その姜維の動きに合わせて、女官が深呼吸を一息、二息。

締めに一際大きく長い息を吐き出して、女官は改めて姜維に真っ直ぐ視線を向けた。
照れた笑顔を浮かべている。


「あはは、すいませんでした」
「落ち着きましたか?」
「はい、もう大丈夫です!…あ、えーと、おはようございます」


慌てた理由はさておいて、落ち着いた所で、改めて朝の挨拶をする女官。
良い笑顔つきのその挨拶を受けながら姜維は、この娘は本当に女官なのか、と疑問を持った。

着ている物は女官の服だが、喋り方や仕草、表情の作り方が、城で見かける女官とは雰囲気を異にしている感じがする。
新参の女官だろうか。
考えを巡らしている所で、女官の方が口を開いた。


「私、って言います」
……随分と長い、変わった名ですね」
「あれ、デジャブ」
「はい?」
「あーいえ、こっちの話で。国が違うからですよ。が姓で、が名前です」


言いにくいと思うんでで覚えといて下さい、と笑う娘。
他国の者なのか、ならば耳慣れない名の響きでもあろう、と納得する一方で、はて、とまた首を傾げる。

最近、そのような者の話をどこかで聞かなかっただろうか?


「もしや、赤壁から丞相が連れてきたという?」
「あ、それですそれです!」
「ああ、なるほど。合点がいきました」


赤壁の戦でその才能を認められ、自分と同じく諸葛亮に師事する事になった者。
娘…その者と共に蜀へ来たのだろう、、、、、、、、、、、、、、
女官らしくないと感じたのにも、それで説明がつく。

彼女がここへ来たのは従者としてか、身内なのか、はたまた。

「軍師見習い」はまだ部屋の奥で眠っているのだろうか。

見えないけれど部屋の奥へ視線を一度投げてから、をまた見る。
着衣が少し乱れていて、高い位置で結い上げた髪も崩れていた。

彼女の身なりや巡らした考えから、あらぬ想像を働かせてしまい、赤くなる。
顔色の変化に気がついたらしいが気遣わしげな様子で覗き込んでくるので、慌てて身を引いて視線から逃げた。


      下世話な詮索などするんじゃない 姜維


冷めない顔の火照りに、強く自分を戒めて。
顔の熱が冷めるまでの時間稼ぎと、視線から逃れた事を誤魔化す為に、拱手の姿勢を取る。


「も、申し遅れました。姜維伯約です」
「知ってます」
「え?」
「いえいえこちらの話で」


何やら思いも寄らない言葉が返ってきた気がして顔を上げると、がまだこちらをじっと見ていた。
多少冷めた顔の熱が再び戻ってくる感じがして、少し焦る。

何だろうか、この視線は。
少しばかり居心地が悪くて、戸惑うように視線を揺らす。


「姜維さん、ちゃんと寝てますか?」
「え?」
「目の下、クマができてます」


は自分の目の下を指し示して、こちらの隈を指摘してきた。
つられて彼女と同じように、自分でも目の下を指先でなぞってみる。

仕事に区切りをつけてからの自分の顔は見ていないが、隈の一つくらい出来もするだろう。
今回は久し振りの徹夜だったが、多忙な時は一日や二日の徹夜など気にしていられない。
隈などよくある事だ。

そうに教えてやると、随分と驚いた様子だった。


「そんな寝らんないとか…私無理だ」


神妙な顔で無理だと宣言しているのがおかしい。
笑いを交えながらその無理な事を否定してやった所で、


「はは…でも、貴女は徹夜する必要はないですから」
「マジですか?それはありがたい…いやでも姜維さんもちゃんと寝ないと駄目ですよ」


姜維も、と言い指されてきょとんとした。

「仮眠取ってスッキリした頭で仕事やった方がはかどると思いますよ」だとか、
「若いからって夜更かしばっかりだとお肌が荒れちゃいますよ」だとか。
効率を考えた真っ当な意見かと思えば、その情報は果たして必要なのか?と問いたくなるような事を、
は終始真面目な顔で口調は軽く、身振り手振りを満載して滔々と語ってくる。

面白かった。
言動と動きの落差が、まるでおどけているようだったから。

我慢しきれなかったおかしさが、押し殺した笑い声となって外に出て来てしまった。


「そうですね。では今日は、出来る限り早く仕事を切り上げるようにします」
「ん、そうしちゃって下さい。」


望むだろう答えを返すと、は真面目ぶった顔で大げさに頷いてみせた。
動きがやっぱり面白くて、ぶり返してきた笑いと必死に戦っていると。
頷きから戻ってきたの顔にも、照れたような笑顔が浮かんでいた。

早朝の窓越しに二人。
姜維とは共に笑いあった。

眠気でふらふらとしていた姜維の頭が、この時ばかりははっきりとしていた。




窓越しのと別れた後も、道すがらで自然と彼女の事を考えていた。
あの窓の前へ行けばまた会えるのだろうか、そんな考えが浮かんでは消える。

姜維が今まで女性達に対して抱いていた意識。
或いは女性達が持っているであろう常識というものが、彼女には当てはまらないのを感じていた。

歯に衣を着せず言えば、には奥ゆかしさの欠片もない。
笑う時には顔いっぱいで笑い、控える事を知らないようにどんどん話しかけてくる。

そうして交わした会話は、とても楽しかった。
悪い印象など一つもない。
及いて挙げるならたまに分からない言葉を使っていた事だが、彼女への評価に影響するものでもない。

彼女のような人が傍についている人なら。
赤壁から来た軍師見習いとも、きっと親しくできるだろうと、妙な確信を抱くのだった。















「あー…びっくりしたぁ」


 姜維が去った後の窓辺で、は額を拭う真似をしていた。

早朝に目が覚めて、誰か来るまでの間の時間潰しに窓の外の景色をぼんやり眺めていたら、姜維が急に現れた。
鼻歌とか歌って油断していた時だから、すごく驚いた。

……鼻歌、聞かれてない……よね?
突っ込まれなかったし、多分聞かれてない、という事にしておこう。
聞かれてたと思うと恥ずかしいから、精神衛生上。

気持ちを切り替える意味で窓枠を一つ叩いて、窓を閉める。
座る所を求めてベッドに向かいながら、今まで出会った蜀の無双キャラ達を指折り数えてみた。


「いーちにーぃ……姜維で五人目か。まだまだだなぁ」


出会うペースは比較対象がないから分からないが、個人的に早いと思うけれど。
蜀のプレイヤーキャラは総勢13人。
まだ半数にも及んでいない。

これは今後、より一層の精進が必要のようだ。
「精進て何するの?」とか聞かれるとすごく困るけど。

そんな風に今後を考えてみて、ふと今まで出会った人達の事が頭に浮かんだ。

出会った人達は、生身な分人間味に厚みが増していて、画面越しよりも近しい存在として感じた。
どの人も皆いい人で、直に会う事で彼らが持っている魅力が倍増しているような感じ。
自分の中のキャラクター達への評価が良い方へ修正されている。
今後会う事になる人達に期待しても良さそうで、わくわくしてくる。

うひひ、と声に出して笑いながら、部屋のドアの方を見た。


「月英さん来ないかなー」


多分今日も来てくれるだろう月英の名前を口にしながら、待っているのは実は朝ご飯。
ベッドの脇に置いてあった水で誤魔化してみたけど、お腹が空いて力が出ません。

部屋を用意して貰った嬉しさに任せてベッドへ寝転がって、今朝まで寝こけてしまったのが昨日の事。
そのせいで成都での初夕ご飯を逃してしまった。
且つ、まだ日暮れにも早い時間に寝たせいで、起床はこんな朝早く。
暇を持て余しながら、朝ご飯も「待て」状態で、体は二食分の食料を欲している。

部屋にコップと水があったという事は、月英が一度部屋に戻ってきたという事だろう。
寝ている自分を起こさなかったのは、「長旅で疲れたのね」とか気遣ってくれたのか。
それとも起こしたけど起きなかったのか分からないけれど。

いやともかくどっちでもいいけど腹ぺこです。
でもって着の身着のままで寝ちゃって着崩れた服を直したいです。
あと顔を洗いたい。

普段なら簡単にやってのけられるそれらの欲求も、今は人の手が必要。
着方の分からない服の直し方なんて尚更分かる訳がないし、顔を洗う水場へも案内が無ければ辿り着けない。
ご飯はどこで食べたらいいんですか。
持ってきてくれるんですか、どっか食べに行くんですか。

ああ、待ちくたびれてそろそろ我慢の限界です。


ふらり、と足がドアへと向いていた。
確認してもしょうがない事だと分かっていても、月英が来てはいないかと確かめずにはいられない。
何も考えずにドアに手を掛け、そっと開く。
隙間から顔だけ覗かせて、廊下をぐるりと見渡そうとした所で。

目の前に立ち止まった人がいるのに気がついた。

自分よりも遙かに背が高いその人。

目を上げる。




仮面が




ばた         んっ




まだ早朝だからと周囲に気を遣って静かにドアを開けた事も忘れて勢いよくドアを閉めた。
ドアを閉めた音が廊下に木霊するのを、ドア越しに聞く。
ばくばくと脈打つ心臓の音は耳のすぐ近くで聞こえている。


「…びっ…びっくりした……!!」


押し殺すように声に出す心の叫び。
姜維との遭遇時にはからっからだった額から冷や汗が浮かんでくる。
今度は真似事じゃなく本当に額の汗を拭った。

驚いたのは、見上げた先にあった怖い顔のお面に対して。
びっくりして、体の反射に任せてドアを閉めてしまった。

ああ、心臓に悪い。
あのお面は油断してる時に見るもんじゃない。


      でも


少しの間ドアの前でじっとしていたら冷静になってきたので、顔を上げる。
正面に壁として塞がるドアの向こうに、今見た仮面を思い返す。
思い返してみれば、確かに怖いけれどそんなに驚く程のものではない。
ゲームの画面で割と見慣れたものだから。

顔を合わせた途端ドアを閉めるなんて、随分ひどい事しちゃったなぁ。
時間が経てば経つ程落ち着いてくるのに比例して反省の思いも湧いてくる。
ごめんなさい、今度会った時にはきちんと謝ります。
胸の内で謝罪しながら、改めて廊下を確認しようと思い、ドアを開ける。




仮面が




さっきより近くに




「何故…逃ゲル……」
「に゛ぃ゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛       っっ!!!」




の絶叫が廊下に響き渡った。





















姜維とヒロイン初顔合わせの回。
窓越しの顔合わせというちょっとロマンスさえ匂わせるシチュエーションにあって
敢えて呑気に鼻歌歌わせて雰囲気ぶち壊す、それが戯クオr(ry
でもって、戯はキャラが勘違いするネタが好きなようです。
噂の本人を前にして気付かないとか、話を違う風に解釈しちゃったりとか。
面白くないですか?

次の話はあの人。今回ので名前も出てないのに誰だか予想が付くあの人。
プラスもう一人。



2009.1.13
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