これが夢ではないのなら。
テレビの枠の外で劉備と諸葛亮にお目通りの叶っているこの状況が夢ではないというのなら。
何故こんな事になっているのかは皆目見当が付かないけれど、これはとても貴重な体験なのではないか。
楽しまなければ後で必ず後悔するパターンなのではないか。
予想外の出来事に高鳴る胸を押さえつつ、期待に夢膨らませ、上半身を起こした刹那。
「衛兵!侵入者です、直ちに捕らえなさい」
「んえええええ゛っっ!!?」
静かなる鶴の一声に、仰天しすぎたはとんでもない声で叫んだ。
現状認識
眼下の娘のとんでもない声を予想だにしていなかった……予想されても困るが……劉備が、びくりと身を竦めた。
が常の状態であったなら、彼のその反応を「ちょっと可愛い」位には思っていただろう。
が、それも曲者として何故か捕まりそうになっている今となっては気にしていられない。
ここは逃げておくが勝ちか、と漸く下された判断に従って立とうとするも、やや遅く。
決して張り上げていた訳でもないのに、諸葛亮の声を聞きつけた兵がばたばたと足音を立てて現れ。
立ち上がる途中で中腰という妙な体勢だったを、難なく床へと押さえつけた。
上から体重をかけて押さえつけられ、更には腕を捻りあげるオプション付き。
「ぎゃあっ!?い、いだだだだ腕っ!!う、腕がもげるっ!もげるってっっ!!」
関節に起こる鈍い痛みに、慣れない出来事にパニックに陥ったはなりふり構わず叫んだ。
腕が痛くてばたつかせる事も出来ない足をつっぱらせて、顔を引きつらせ。
そんな必死の様子が伝わったのかどうか。
決して逃げ出せない程度ではあったが、腕を押さえていた力がふと弛まった。
ようやく解放された心地がして、は大きく息を吐く。
「何とも危機感のない方ですね、こうして捕らえられたというのに」
「……はぁ、それは認めます」
実際、数分前まで危機感とはまるで無縁の所にいたのだ。
展開がこれだけ早く進みすぎては、持って然るべき感情も置いてきてしまう。
だからこそ頭上から投げられた言葉を素直に認めると、感心するような声が聞こえた。
床に倒されている為顔が見られず、彼が何を思っているのかを声だけで判断しなければならない。
その声が落ち着いていて抑揚が少ない分、どんな感情が含まれているのか分からなくて少し怖かった。
しかしそれよりもじわじわとくる腕の痛みの方が気になって仕方ない。
とりあえず、怖いと思う気持ちを押して素直に頼んでみる。
「あの、私怪しい者じゃないので放してくれませんか?逃げませんから」
「……ほう。その言葉、信用してもらえるとお思いですか?」
「……ははははは、ですよねー」
しまった言葉の選択を間違えた。
は動かせない手の代わりに心の中で頭を押さえ、己の失言を悔いる。
見ず知らずのいかにも怪しい奴が怪しくないと言った所で、信じる訳がないではないか。
且つ逃げないと言っておいて実際に逃げない怪しい奴など、一般的に考えればまず皆無。
でも 今の私の言葉は嘘じゃないのに
は小さく嘆息した。
この窮屈な体勢から解放してくれる事だけが望みだったし、戦いに慣れた者を相手にして無事に逃げられるなど思っていない。
何より逃げるなんて勿体ない選択肢、余程命の危険が迫っていない限り遠慮する。
だから誠意を持って頼んだつもりなのに。
相対しているのが蜀の君主に軍師だから、を押さえている兵士達がより警戒している。
一般常識と相手の地位、それと己の馬鹿正直さを少しだけ恨み、はがっくりと突っ伏した。
鼻先が床面についた状態で、ふと近付いてくる足音を聞く。
それは自分にとって、救いの手。
「いや、放してやりなさい」
「…殿……」
「相手は女人だ。いつまでもこのような仕打ちをするのは忍びない」
殿 !!!
歓喜の雄叫びがの胸の内で爆ぜた。
机の向こうからわざわざこちらに来て膝をつく、劉備玄徳。
の上で腕を押さえている兵に手を放すよう命じている彼の姿を思い、目頭が熱くなりさえした。
ああ、さすがは大徳と謳われた男。
ややあって、ふむ、と少し思案する諸葛亮の声が届き、何事かを兵士に命じた。
すると直後に捻られていた手が僅かに自由になる。
そして手は捕まったまま、上半身を起こされた。
つまりは床にぺたりと座り込んだ姿勢で、両手を左右に広げられて拘束されている状態。
楽にはなったが状況的にはあまり変わっていない。
「殿……この者が殿の御命を狙う刺客だった時の事をお考え下さい」
「無論そこを弁えた上で言っておるのだ。私にはこの者が刺客であるとはどうしても思えぬ」
ようやく目を合わせられる体勢になった所で、劉備の目が正面からを捕らえた。
あまりに真っ直ぐと見つめられて思わずたじろぐと、安心させるように柔らかな笑みが浮かぶ。
「それに、私とて武人の端くれ。敵意があるかないか位は分かるつもりだが?」
私の目を信じてはくれないのか、と暗に問いかけるその言葉。
を向いていた眼差しが後ろを振り返り、今度は諸葛亮を映し込んだ。
大徳の眼差しを受け、当の軍師は困り顔で羽扇を仰いでいる。
諸葛亮のその反応を見て、ああ、やっぱりこの人は殿なんだと感じた。
劉備の持つカリスマ性とでも言うべき物が、周りの者を理論など関係なく納得させてしまう。
それは信じるに値するだけのものを、彼が持っているという証。
そして前々から劉備が好きな自分も含め、人を引きつけて止まない表情。
人の上に立つ事を重きとするのではなく、人と和して導く君主としてこれ程適した者が他にいるだろうか。
「……全く、殿には敵いません。尤も、捕らえた時の身の動きで刺客でない事は分かっていましたが」
「む……ならすぐに放してやれば良かろうに」
「万が一の事も考えられます。尋問し、完璧に疑いが晴らせるまでは自由にする訳にはいきません」
「……私の人を見る目が信じられぬのか」
「信じるか否かの問題ではありません。殿のお気持ちも分かりますが、警戒を怠ったばかりに殿の身に大事が起きてしまっては遅いのです」
「むぅ……」
「我々臣下の気持ちも、ご理解下さいますよう」
「………分かった」
一生ついて行きますぜ殿!!!
と、自己の世界に浸り劉備を崇め奉っていたは、自分を捕らえておく方向に進んでいた話が耳に届いていなかった。
「諸葛亮殿、少し良いか……何事だ?」
劉備崇拝にいそしんでいたはようやく現実に戻った。
引き戻された理由は他でもなく、狭いのに妙に人口密度の高い中で後ろの方から聞こえてきた声にある。
何故だか妙に聞き覚えのある声質、口調。
はて、と首を傾げて窺った周囲の様子。
両腕を押さえつける兵は勿論、諸葛亮に劉備までが、の背後に視線を移している。
ついついつられて仰け反るようにして背後を振り返り。
表情筋をひくりと引きつらせて、固まった。
「……周瑜だ」
「今し方不審な者を捕らえたのです。すぐに下がらせましょう」
思わずこぼれた呟きは、被せるように発された諸葛亮の声で掻き消された。
そんなことを気にする余裕もなく、は視界に映った人物を凝視する。
赤い鉢巻にサラサラストレート、高い背丈に端正な顔。
着ている赤を基調にした服も何もかもがあのゲームのグラフィックと同じ、その人。
周瑜公瑾、呉の国の軍師。
何故この人がここにいるのだろう。
劉備達がいるからてっきりここは蜀のどこかだと思い込んでいたが違うのだろうか。
驚きすぎて動きが鈍くなった頭でつらつらと考えながら、視界には逆さに移る周瑜をまじまじと見つめる。
対する周瑜は、下方から凝視してくるを一瞥するだけに終わった。
「そうしてくれ。こう人が多くては、円滑に軍の動きを確認出来ぬ」
「魏軍を相手にして……時を無駄にして勝てる程、こちらに利はありませんからね」
周瑜は諸葛亮と軍の話をしに来たらしい。
魏軍を相手取り……ということは、此処は呉と蜀の連合軍といったところか。
三国無双でもそんな戦いがあった気がするが、何だったか。
曹操率いる魏を相手に呉と蜀が同盟を結んだ戦いは、確か。
「………っここ赤壁!?」
脳内のみで場所が特定することが出来たは大いに驚いた。
『真・三国無双4』で呉と蜀の連合軍が魏軍と対峙するのは、その戦いしかなかった。
それより前のシリーズや本家『三国志』で魏軍対連合軍の戦が他にあったかは知らないが、ゲームの方では確かそうだった筈。
諸葛亮らの会話を聞いてからその解答を導き出すのに、かかった時間はほんの数秒。
退室しろと命令される暇も無い程のスピーディーさ。
真剣な話をする軍師二人そっちのけで声を張り上げたを、皆妙な目つきで見てきたが。
そこはそれ、不審者の行動にいちいち気を留めて時間を無駄にする訳にも行かない。
誰もがそう判断をしたか、の発言内容には触れず、周瑜が代表して兵士達に出て行くよう命じた。
掴まれた両腕が引き上げられて、無理矢理に立たせられる。
急に起きた動きに素直に従ってしまってから、はっとしては瞬いた。
自分を拘束する片方の兵士に問いかける。
「…あの、私は何故まだ捕まってるんでしょうか?」
「何言ってるんだ、捕らえておくために決まってるだろう。お前を牢に入れるんだ」
お前を 牢に 入れるんだ 。
「嘘 んっ!?」
「ほら、さっさと歩け!ぐずぐずするんじゃない!!」
「え?え!?ちょっと待って何この急展開!!?」
待ってくれと必死に言い縋るも、圧倒的に引っ張る力の方が強く、ずるずると引きずられてしまう。
ここでがどんなに足掻いたとしても、己がここにいる理由を説明しようとしても、連行される状況は覆せないようだ。
そもそもここにいる理由など説明しようにも説明出来ないのだが。
劉備の人徳を持ってしても、解放されるまでには至らなかったか。
引きずられる体に足が追いついてきた所で、ようやくそれを理解する。
人徳も仁徳も彼を思う兵士達の前には無意味だったかと落胆し、は大仰に肩を落とす。
腕の掴まれ方やら、変に暴れると関節を痛めそうだ。
無駄に怪我をしたくなかったから、連れて行こうとする腕に素直に従うことにした。
ただの希望的観測かもしれないが、まさかいきなり殺されるなんて事はあるまい。
ああ、束の間の幸せは終わりを告げるか。
ドアを潜り外に出るほんの刹那の間、振り返る。
「風を呼ぶお祈り、頑張って下さいね。諸葛亮………様。」
赤壁にて実行される、幾つか連続する策の内の一つ。
それの中心人物がいるのだから、そのことに対して何か言っておかなければ何だか勿体ない気がした。
日本人古来の美点『勿体ない精神』をいかんなく発揮して、深く考えずに声をかける。
既に話し合いの体勢に入っていた諸葛亮が振り向く。
反応が返ってくる前に、ドアが閉まり。
は相変わらずずるずると情けない姿で、牢まで連れて行かれた。
さあさあいきなり捕まりましたヒロイン(笑)
怪しい奴が現れたらとりあえず捕まえると思うんです。普通。偉い人がいれば尚更。
大丈夫です。いつかは夢が見られます。(いつですか)
殿大好きです。仁の世が築かれていたら良かったのにと本当に思います。
諸葛亮も大好きです。軍事面では芳しくない評価でも、政治面で蜀を支えた事に変わりはないし(陳寿の評価)。
周瑜も好きです。髪が長いから(えー)。凄いとは思うけど、主に蜀と魏が好きなので。愛の差です。
赤壁からスタートという設定にしては「おや?」と思われる部分がありますが、大丈夫です。
次の話でそこの所は補完します。(とか言って補完する以外に「おや?」な部分があったらどうしよう)
ということで、次へどうぞ。
戯
2006.12.17
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