冷静になりました。
「……亮殿、諸葛亮殿。どうしたんだ、呆けるなど貴方らしくもない」
「……ああ。いえ、何でもありません」
周瑜に呼びかけられ、やっとのことで我に返った。
自分が呆けていたという事実に少しだけ動揺し、それをごまかし隠すように羽扇を口元に持っていく。
視線を横に流すと、床に見慣れない物が落ちているのに気が付き、拾い上げた。
見た事もない文様が書かれた小さな箱。
力を込めると難なく歪むその箱は耐久性に欠けているようで、しかし妙に丈夫そうだ。
この珍妙な箱は恐らく、先程の娘が持っていた物であろう。
先程の、娘。
身に起きている事に無頓着な様子で見上げてきたあの顔が浮かぶ。
去り際に娘が残していった言葉が、何故か引っかかった。
「……考えすぎでしょうか」
「何の事だ?」
「…いえ」
言葉を濁してこの話は流し、改めて軍の行動に関する話に入る。
しかし、胸に残る僅かな引っかかりはいつまで経っても消えない。
僅かだからこそ、だろうか。
寸分違わぬ連携が必要とされている時期だからこそ、そんな些細な事が気になるのかも知れない。
それが作戦に関係があろうとなかろうと。
後で呼び寄せましょうか
そしてこの胸のつかえを、原因となったあの娘に直接問い質すのだ。
「入れ」
両腕を捉えられて促されるままにやってきたのは、格子窓の付いた扉の前。
諸葛亮らのいた部屋を出て引きずられている間に通った通路の窓らしき所から、遠くに何隻もの船が見えた。
現代では殆ど見かけない、木造の大型船。
やはりここは違う時代なのだと改めて実感した。
そうした感慨に耽りながらいつの間にか到着した扉の前で、の両腕がようやく解放される。
扉が開けられて、背中を軽く押された。
中に入れという意味らしい事を知って、大人しくそれに従う。
腕を拘束したまま中に放り込まず扉の前で解放したのは、が今まで抵抗せず従っていたからだろう。
「ふぁー……やっぱり薄暗い………」
足を踏み入れると思った以上に薄暗く、目が慣れなくて何度も瞬きをした。
この時代、電気があるとは思ってはいなかったが、入った部屋がまさか明かりも何もない部屋だとはさすがに予想していない。
一般的だっただろう松明やら燭台やらの灯りさえ、この部屋にはない。
唯一の光源は、扉に付いた格子窓から差す光のみ。
牢に入れるような人間に使う燃料が勿体ない って事 ?
良い度胸してるじゃないかと、言う勇気もない凄みの言葉が胸中に渦巻く。
そうして入り口付近で佇んでいる内に、背後で扉が閉まり錠がかけられる音がした。
反射的に振り返って格子に取り付き、隙間から外を窺う。
扉の傍に鎧の肩先と棒のような物が見えた。
鎧は見張り番で、棒のような物は彼が持っている槍か何かだろう。
現代じゃ絶対に見られないだろうそれら二つに目を輝かせる。
本来捕まっているのだから目を輝かせている場合ではないのだろうが、そこはそれ、の生来の気質の賜物である。
鎧に武器の取り合わせを生で見て、怯えるどころか好奇心を持つ自分に感謝した。
いきなり来てしまった世界に神経耗弱して参ってしまう、というどうしようもない状態は避けられそうだ。
もう一度まじまじと鎧と武器の一部分を観察してから、は牢の中に目を戻した。
目が大分暗さに慣れてきていて、内部構造が確認出来た。
昔の牢屋と聞いて漠然と思い浮かべるような、ごくごく普通の牢。
飾り気など勿論ない。
その牢の中に、より先に人がいた。
牢の奥の方でうずくまっているようで、その為に先程入った時にはその存在に気付かなかったようだ。
こんな暗くて何もない部屋に一人きりとは寂しくはないのだろうか。
牢なのだから人数に関しては関与出来る所ではないのだが。
「魏の者ですか」
「うひぃっ!?」
声をかけてみようかと考えていた矢先に、突如起こった低い声。
驚いたの喉から叫びともつかぬ奇妙な音が漏れた。
その勢いで背が扉にぶつかったが、気にしていられない。
薄闇の中の人物は、こちらを見ているようだった。
ただし暗さのせいで分かるのは顔の輪郭までで、面立ちや細かい所まではいくら目を凝らしても見えてこない。
「魏の者ですか」
「……い、いえ、違います……」
ぶつかった扉伝いに背を沿わせたまま腰を下ろしつつ、声の感じからして男からの問いかけにようよう答える。
魏の者か、という問い。
それに如何ほどの意味があるのかと様子を窺うも、そうですか、と一言呟いただけで、男はそれきり黙り込んでしまった。
の否定の答えに、何か意に沿わぬものでも感じたか。
しばらくの間爪先だけで体のバランスを取るというなかなか不安定なしゃがみ姿勢で男を観察するが、動く気配がない。
唐突に男から始められた短い言葉の遣り取りは、が追いつくより前にやはり男により唐突に終わりを告げたようだ。
その事を確認してから、いつの間にか詰めていた息をそろそろと吐き出した。
足で支えていた体をずるずるとずり下げて、ようやく完全に床にへたり込む。
「あなたは魏の方…なんですか?」
友好的とは思えない会話は心臓に悪いな、と溜息を吐き、は逆に問いかける。
自分の事を訊かれれば、相手にも同じ事を訊きたくなるのが人の性。
闇の向こうで相手が動く。
「ええ」
短い返答に、やっぱりそうかと静かに納得する。
『三国』の内の二国が既に揃っているのだから、そこで捕まっているこの人は残りの一国の人だろうと勝手に思っていた。
何せここは『三国無双』の世界。
それ以外の答えなど無いだろう、とまるで根拠のない自信に裏打ちされた推論であった。
が、よくよく考えてみればここは戦場。
敵状視察に三勢力以外の土地からスパイが送り込まれていてもおかしくはない。
今更その考えに至ったが、既に本人から是と答えてもらった為、それはひとまず忘れておこう。
と、そこまで考えてはふと気付く。
そういえば この頃はまだ三国鼎立してないんじゃなかったっけ?
赤壁の段階ではまだ諸葛亮の天下三分の計が途中の筈だ。
この戦の後、劉備が蜀の地を手に入れたりしてようやく魏・呉・蜀の三つ巴が完成するのではなかったか。
そこを意識して口にした訳ではないが、まだ興されていない筈の『魏』の国名が通じてしまう。
『曹操』ではなく、『魏』で。
ゲームとは話の進み方が違うみたいだな
正史との違いは言わずもがな。
且つ、今の状況は『真・三国無双』ともまた少し違う。
そもそもゲームソフトとは与えられた指示通りにしか動く事が出来ないものだから、自分がゲームの中に入り込んだなどという選択肢も有り得ない。
プログラム外の『自分』という存在が現れた時点で、それはもうバグなのだ。
ならば、現状を一言で言い表そうとすると、、
パラレルワールド ってことになるのかしら
パラレルワールド。平行した世界。
四次元宇宙に存在する、よく似ているがどこか違う世界。
が訪れてしまったのは、三国無双のキャラクター達が本物の人間として三国時代を生きている世界か。
それこそ夢物語のようであるが、そうとでも考えなければ実際起きている事態に説明の付けようがない。
先程転けてぶつけた膝が痛かったので、これが夢でないと証明されてしまっているのだ。
自身人並みに本を読む方だからパラレルワールドという呼称は知っていた。
存在していても良いような尤もらしい「こじつけ」もなされているし、ひょんな事で次元が繋がってしまう事もあるのかも知れない。
その上で次元の歪みに巻き込まれて、パラレルワールドに行ってしまう人が一人二人いてもおかしくないのでは、と考えた事もある。
ただし、それはあくまで他人事の域であって、自分がまさか体験するとは思ってもいなかったのだが。
証明すらされていない突飛な話を心から信じていた訳でもない。
あったら面白いのに、とその程度のものだ。
それがまさか唐突に、自分の身に降りかかって来ようとは。
幽霊を信じていなかった人が突然幽霊を目にしてしまった時というのも、こんな心境なのだろうか。
特に、首を絞められたりと実害を伴った場合によく似ているのでは、とも思う。
信じたくなくても目を背ける事を許してくれない記憶がある、というような。
ということは この人達皆幽霊 ?
昔から怖いもの見たさはあるのだが、幸か不幸か幽霊の類は未だお目にかかれた事がない。
自分から見たらこの世界は一応過去のものという事になるのだし、幽霊という考え方もあながち間違ってはいないのかも。
そうなるとこれは人生初の心霊体験か。
劉備と諸葛亮との遭遇、これ程心躍るような心霊体験があるなんて驚きだ……。
と、そこで初めて思考があらぬ方向に進んでいることを自覚する。
殆ど光源のない室内だから分からないでいたが、いつの間にか瞼を落としてしまっていたようだ。
耐え難い眠気が襲ってくる。
今朝寝坊はしたが、その前に寝付いたのが夜の明け始めだったことをは思い出す。
そりゃ眠い筈だと納得している内にも意識がもうろうとしてきて、今にも寝てしまいそうである。
暗闇と、適度な室温。
話しかけにくさから来る沈黙に睡眠不足とくれば、これで寝るなという方が酷だ。
は、一つの判断を下す。
「眠いなら 眠ってしまえ ほととぎす ………」
どうせこの部屋から身動きが取れないのだし、起きていても仕方ないなら欲求に従って寝てしまおうと。
うっかり思い浮かんだホトトギスの句が、夢と現の判別がつかなくなった口からもごもごとこぼれ落ちる。
小さな呟きを耳にして、怪訝な顔でを窺っている男にも気付かず。
『ちゅー事は私がホトトギスか』と、寝ぼけた頭で考えていたりする。
己の欲求が誘うままに、は思う様微睡んでいった。
ホトトギスは牢に入れられてしまいました。
高い地位のある人の前に得体の知れない奴が現れたらまず周りの人が警戒しますよね。
特に殿に仕える兵士達は大変だと思う。主君が刺客を刺客だと気付かずもてなすような方ですから。
それも殿の持ち味だよね。仁徳仁徳。
ヒロインは最初口にした時の事は覚えてなくて、牢にいた男との会話で気付きましたが。
赤壁の時点ではまだ三勢力それぞれ国としては成立してなかったのに、
前の話でたった一度だけ出てきた諸葛亮と周瑜の会話の中で、『魏』という国名で話が通じていた。
というのが後書きで仄めかした矛盾でしたー。
それが正しいのかはヒロインも判断ついてませんが、現段階ではヒロインはパラレルワールドに飛んだという認識で行動します。
都合の良い展開がこの先幾らでも待っていそうですが、どうぞお付き合い下さいませ。
戯
2006.12.24
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