対峙
扉に体を預けて、ぱかっとだらしなく口を開けて寝呆ける。
暗いから見えないとはいえ、同じ牢の中には見ず知らずの男もいるというのに。
そんな認識も、捕らえられているという自覚すらも持ち合わせずに、はひたすら無警戒に貪欲に眠り続ける。
眠り続けて、どれ位の時間が経ったのか。
座ったままで不安定な癖に妙にバランスの良い状態で得ていた安眠は、突如第三者によって破られた。
がちゃ。
がつんっ
「おぐっ!?」
「おい女、出ろ……って何をやってるんだ」
扉を開けた兵士が、牢の床に転がる物体を見て訝しげに声をかけた。
転がっているのは。
先程までのの姿勢は、扉に重心を完全に預けていたもの。
牢の扉は外から押し開けるタイプ。
その扉が開けば、寄りかかっていたが引っかかるのは必然。
且つ、開けた兵士の人柄が滲み出たのか、開かれた扉には思いの外勢いがついており。
寝こけて脱力していたには、その勢いに耐えうるものは何一つ無く。
結果。
「……私は何も……やってない筈……です………はい」
吹き飛ばされ顔面からスライディングしたような格好で、問うてきた兵士に切れ切れに返すのだった。
何とも気の抜ける捕り物が行われた部屋は、駆け込んできた兵達と謎の娘が出て行ってしまうと意外と広かった。
その部屋で、今回の戦の策が話し合われる。
顔ぶれは両国の軍師、諸葛亮に周瑜。
本来なら後ほど、話し合いの終わった後で諸葛亮自ら報告に行く所を、たまたま部屋にいた為にそのまま話を聞く事になった劉備。
加えて連環の策の要となる黄蓋の四人。
ホウ統は既に実行に移されている策の為魏軍に赴いている。
自分達が魏の大軍勢に勝利する為には、全ての策が連鎖的に成功していかなければならない。
策を実行する時機に、千分の狂いもないように。
綿密を極めた申し合わせは長時間に渡り、始めた頃はほぼ真上にあった太陽は傾き、徐々にその色を赤くし始めていた。
「決戦は明日の日暮れを待ってからだ。各々、準備を怠るなよ」
周瑜のその言葉を締めに、申し合わせは終わりを告げた。
黄蓋、周瑜と部屋を出て行く中で、残るのは蜀軍の二人。
「明日……か」
呟く劉備の顔には、静かながらも確かな意気が満ち始めている。
諸葛亮は頼もしく思えるその様をしばらく見ていたが、ふと視線を外して入り口の方に向かう。
意思表示のない内の唐突な行動に、劉備は引き締めていた顔を緩めた。
そして彼の背の行方をつい目で追っていると、入り口に手をかけた諸葛亮はそのまま扉を開け、半身を外に覗かせた。
外で待機していた兵士に何事かを告げているようである。
会話は短く、小走りな足音が徐々に遠のいていくと諸葛亮も劉備のもとに戻ってきた。
「何を命じたのだ?」
「少々気になる事がありまして……人を呼びに行かせました」
「気になる……策の事か?なれば呉の軍師が去る前に尋ねておけば良かっただろうに」
「策の事ではありますが……周瑜殿に、では意味がないのです」
「意味がない……?」
諸葛亮の発言の意図をはかりかね、劉備は首を傾げる。
彼の深謀遠慮には度々頭を悩ませられるが、今回もどうやらその類のようだ。
少々今までとは趣旨が違うようではあるが。
策について気になる点があるなら、指揮を執る周瑜に訊けばいいものを、それでは意味がないという。
ならば誰に、何を訊こうとしているのか。
臥龍と称されていた男の頭の中は、その口から語られるまで覗く事は叶わぬらしい。
その割に、どんな事を考えているのか漠然と分かる時がたまにある。
「殿にも立ち会って頂きます。……もしかすると、興味深い物が見られるかも知れません」
今がそうだ、と劉備は思う。
今こうして話している時の諸葛亮の顔。
口元に当てた羽扇に隠されていても、劉備の立ち位置からなら垣間見える横顔に浮かべられた表情。
ただ微笑を宿しているだけなのだが、その顔に言い得ぬ怖ろしさを感じる。
例えば、弁の立つ相手を論破する時。
例えば、詭弁を弄してくる者に一計を案じる時。
そういう時に、彼はこの顔を見せる。
思う所があり、それを実行に移す時などにこの表情がよく出るのだ。
頭の内がまるで読めないよりも、こうして片鱗を覗かせている方が何を考えているのか分からない。
「……程々にな。」
この後弁舌の餌食となるだろう者に少なからず同情の念を覚えながら、それだけしか言う事が出来ない。
劉備の遠慮がちな声に、諸葛亮は視線を向けて口元の笑みを僅かに深くした。
しばらく待っていると、扉を叩く音がした。
諸葛亮が呼びに行かせた者が来たのだろうと扉を注視している内に、諸葛亮が応じ、間もなく扉は開かれた。
「連れて参りました」
拱手する兵士の後ろに控えていた姿。
それを見た劉備は、少し意外に思って目を瞬かせた。
諸葛亮が下がるように言うと、兵士はもう一度拱手してから連れてきた者を置いて部屋を出て行く。
置いて行かれた方は少し不安げな顔をして兵を見送っていた。
「よく来てくれました。さぁ、座って下さい。貴女には少し訊きたい事があります」
扉を振り返っていたその人物に、座るようにと諸葛亮が促す。
正面に向けられた顔、驚いたように見開かれた目に自分たちを映し込むのは、奇妙な出で立ちの娘。
両手を前で縛られたこの娘は。
先程不意にこの部屋に現れ、牢に連行されたあの娘だった。
「逃げる気も攻撃する気も技術も度胸もないので縛らなくても問題ないんですけど……」
「そんな言葉信じられると思うのか?」
「ですよねー……」
牢の外に出されたは、牢の扉の前で両手を括られていた。
手首に縄を巻き付けている兵士曰く、これから連れて行く所で待つ方々に万が一にも危険が及ばぬように、とのことだが。
こちらにはそんな害意などないから、この行為が徒労に思えてならない。
兵士自身も『万が一』と付け加えている辺り、同じような心境だろう。
だが、がどんなに正直に意思表示をしても『信じられない』と一蹴される。
戦続きの世、怪しい者の言葉を鵜呑みにするばかりでは、自分の身も主君の命も守れないという事か。
警戒するに越した事はないのだろう。
郷に入っては何とやら、はこの時代の人々の習慣に準じる事にした。
「ついて来い」
両手首をまとめ上げると、兵士は長くした縄の一端を持ち歩き出す。
引かれると結びのきつい縄が手首に食い込んで痛い。
解いたら痣になっているのだろうと考えると、少し気分が沈んだ。
仕方なく、必要以上に縄を引かれない為に、後れを取らないよう兵士について行く。
案外早足なので小走りのようになり、足を下ろす度にぺたぺたと音がした。
こっち来る前は家の中だったから 裸足なんだ
今更素足であることに気付き、硝子や針など落ちていないだろうな、と少し心配になる。
勿論前を歩く兵士の足の裏は完全保護だ、こちらの足の裏に対する配慮など欠片もない。
手首と足下、二つの事に注意しながら歩くのはなかなかに大変だった。
そして連れて来られたのはとある扉の前。
長い事歩いたのに足の裏が無傷で到着出来た事に感動を覚えながら、は兵士がノックする音を聞く。
やがて返される、入室を許可する声。
兵士が中に入るとそれに伴って縄が引かれ、油断していたも慌ててその後に続く。
室内に足を踏み入れてから、そこが先程自分が『現れた』部屋だと知る。
そして入った先に、劉備と諸葛亮が待っていた事に相当驚いた。
何で!?
劉備はともかくとして、諸葛亮は自分を真っ先に牢へ入れるように提案した人間ではないか。
何故わざわざ牢から出してもう一度ここに連れて来させたのだ。
途端に生じる緊張の為、ぐるぐると回り出す頭。
否、そんな事は問題ではない。
むしろ気にかけるべくは、この2人を前にして長時間彼らの魅力に耐えられるか否かというその一点。
軽くパニックを起こしている間にここまでを連れてきた兵は退室してしまった。
その事実に更に慌てる。
あなたという暴走抑止力がいない中で私にこの2人と顔を突き合わせろと!?
兵士の存在は少なからず緊張感を与えられ、彼の対応がを冷静にさせていたのも事実。
でなければ今頃、かの無双キャラを現物で拝めた嬉しさに所構わず転がっている筈である。
その彼がいなくなった今。
は自分1人で、暴走しかける感情を理性で抑えつけなければならない。
「……どうする私」
兵士が去った扉を振り返りながらの呟きは、緊迫した雰囲気を帯びていた。
だがその雰囲気の理由がどうしようもない物であるのは否めず、かつその理由に劉備らが気付いている訳もなく。
ちなみにこの時本人は至って大まじめである。
諸葛亮が先程に曰った『危機感が無い』とは、今のような状態にも当てはまるだろう。
もう一度念を押しておくが、本人は至って大まじめだし、今の状態はあくまで『危機一髪』である。
「よく来てくれました。さぁ、座って下さい。貴女には少し、訊きたい事があります」
静かにかけられる声に、ぎこちなく顔を戻す。
そこにはこちらをひたと見据える龍が待ちかまえていた。
本人を取り巻く問題と、その周囲の人々が外見から受ける印象は違うんだよという話。
劉備はヒロインが今の状況に怯えて不安がっているように捉えていますが。
実際ははしゃぎたくなる所を必死に押さえ込んで、且ついつそれが暴発しないかと冷や冷やしてたりする訳です。
真実は一つじゃないんです。人の数だけ真実は存在するんです。
言ってみたけどどういう事ですか?(さぁ
戯
2007.1.3
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