龍との駆け引き










 諸葛亮に促されるまま用意された倚子に腰掛けた娘は、随分と緊張しているようだった。
『軍師』として立つ諸葛亮の気にあてられているのだろうか。

娘が武芸に長けていない事は彼も認めた。
女性性を武器とするようなら話は別だが……見た限りではその類に長けていそうにない。
そんな見るからに非力な女性に話を訊くのだから、間者相手にするような厳しい尋問をすることはないだろう。

もう少し肩の力を抜いても良いのに、と娘の心理状態を気遣いながらも口にはせず、劉備はただ諸葛亮の出方を待った。


「貴女の名を教えて頂けますか?」
「……、と、申します……」
「……随分と長い名前ですね。姓は何と?」
「へ?はっ、いやいや!が姓で、が名前ですっ!」
「ふむ、、ですか……変わった響きですが、出身はどの辺りに?」
「……ぅぅえーっと……この国じゃ、なくて………海の向こう……倭?倭の国?で合ってるのかな……から、です」
「倭……聞いた事がありませんね……その倭という国から遙々海を越えてこの蜀へ?」


はい、と答える娘……というらしい者の足が所在なさげにしている。
気付いてみれば、その足には何も履いていなかった。
見た事の無い形状の衣服ではあったが、もしかしたら自分の物よりも生地は上等そうだ。
それだけの物を身に纏っているのだから、靴も買えない程貧しいという訳では無いようだが。
ならば靴を履かない国の風習だろうか。
劉備が娘の姿や様子から色々と推測を立てている内にも、諸葛亮の問いは進んでいる。


その中の、ある一つの質問。


「何故貴女は我が軍……この部屋に現れたのです?隠れていたのなら、貴女の隠形術は存在を悟らせない程見事だったのに」


それを聞いたの足が、ぴたりと止まったのがはっきりと分かった。


「……その質問……答えようがない、んですが……」


足とは対照的に、答えるの目はより忙しなく宙を彷徨う。
これまで以上に落ち着きをなくした様子は、誰が見ても『怪しい』と口を揃えて言うだろう。

答えようがないのではなく、答えられない。
つまり何かを隠しているのではと疑われるに十分な反応。

その反応も含めて、は本当に素人なのだと改めて認識した。
動揺を隠せないほどこういう『仕事』に慣れておらず、また素直だ。
……それすらも演技だとしたらもう何も言えまい。
芸達者ぶりに敬意を表して拍手でも送ろう。


彼女の動揺を諸葛亮が見逃す訳もなく、そこを突いて全てを白状させる。
……だろうと、そう劉備は思っていたのだが。


期待を込めた視線を諸葛亮にやると、どうしたことか。


「……いえ、答えられないならそれで構いません、答えられる事だけ答えて下さい」


穏やかに声をかけ微笑すら浮かべて、彼女を安心させているではないか。
常の彼なら決して見逃さないだろう機会を流した事態に、奇異の目を向けた。

……直後。
劉備は息を飲んだ。


羽扇で隠された諸葛亮の口元は、彼女の位置からは見えない。
その見えない箇所を、劉備の立ち位置からなら確認する事が出来る。

陰になった所に、目にはおくびにも出さない感情が表れる。
先程の、言い得ぬ怖ろしさを感じさせる微笑が、そこに宿っていた。

を標的として、何か仕掛けようとしているのだと、劉備はすぐに悟った。
しかし標的となっている当の娘は、諸葛亮と視線を合わせようとしない為その眼差しに気付いていない。
劉備もまた、諸葛亮が何を思って何を仕掛けようとしているのか、気づけない。

「では、貴女はここにいる間に我らの策を耳にしましたか?」
「あ……はい、それは」
「それは何処で」
「…えー……兵士さん達が話しているのをこっそり……?」
「成る程……。彼らが話していたという策の内容を、出来るだけ正確に教えて下さい」


ちゃんと彼らに伝令が行き渡っているのか知る為に。

え、との目が見開かれた。
意味を図りかねている顔だ。尋ねる意味が分からないと表情が語っていた。
理由を求めるように、娘の目がおずおずと諸葛亮を捉えるが、望む言葉は返ってこない。
怪訝な顔は消えていないが、諸葛亮に促されたが、耳にしたという内容をぎこちなくも諳んじた。


ホウ統が魏軍に入り込み、船に慣れぬ魏軍兵士達の為に船同士を繋げと献策し、その後魏軍を抜け出し連合軍に合流。
開戦後頃合いを見計らって、周瑜に罰され恨みを持ったとして黄蓋が一旦魏に降る振りをする。
そして機を見て魏軍船団に火を放つ。
船を繋いでいた為に大船団は延焼し、魏軍は大打撃を受ける………


と、の語る内容は、つい今し方劉備が耳にしたのと寸分違わぬものだった。


「……で、魏の船にだけ火が回るように諸葛亮……様が、東南の風を呼ぶ祈祷を行う……と、聞きました」


話はそこで締めくくられる。
聞いている限り、彼女の発言に別段怪しい箇所は見られなかった。
ますますもって劉備は諸葛亮の意図が読めない。
一体今の質問に何の意味があるのかと、問おうとして目を諸葛亮に向けた、刹那。


深く深く、笑みを湛える諸葛亮の口元を見つけてしまい、劉備は固まった。















 挙動不審ではないだろうか。
諸葛亮の尋問を受けている間、はその事ばかりを気に懸けていた。

応答する際の己の挙動の事ではない。
それに関して言うならば、寧ろ不審であった方が自然だろう。

ゲームで興味を持ち調べた資料から知り得た、この時代の戦いの大局。
その知識を、『今この時』である赤壁以降の情報を開示せぬよう慎重に言葉を選び取って。
そんな事をしているものだから、目は泳ぎ手足は所在なくあらゆる所に落ち着きがない。

尋問を受けているのが不安で堪らない、何も知らない無関係の一般市民。
殊更そこの所を主張するのに、今の自分の姿ほどうってつけのものは無いだろう。


ともかく、の心配しているのはそこではないのだ。
思う所は、己の表情。

『三国無双』の諸葛亮と劉備がこんな間近におわすこの状況で、よもや喜悦に染まりきった表情を前面に押し出してはいないだろうかと。
心配ごとと言えば、ただその一点のみに集約されている。
状況が状況である。
もし自分が彼らの立場にあって、尋問している相手がにやけていたりしたら。

ハッキリ言って、怪しい。それ以上に、気持ちが悪い。

だから、これまで使った事がない位に神経を尖らせて、顔に場に似つかわしくない表情が出ないように気をつけた。
途中テンションが上がりすぎて、何回か危なく転げ回りそうになる時もあったが、何とかここまで乗り切った。
乗り切ったつもりだった。


「…で、魏の船にだけ火が回るように諸葛亮……様が、東南の風を呼ぶ……と聞きました」


諸葛亮を慣れない「様」付けで呼ぶ事もクリアした。
軍で流れていそうな簡単な情報だけ喋るのも上手くいったと思う。
なのに何故か、は急に不安になった。
話し終わってからもずっと諸葛亮の目がこちらを見つめていて、次の質問を口にする動きが見られない。

何故、と助けを求めて劉備に移した視線。


凍り付いたように固まる彼の姿が、目に映った。


「……不思議ですね。何故貴女は知っているのでしょう」
「……え?」


静かに、いつもと変わりない調子で紡がれた言葉。
そこに含まれる確信めいた疑問符を、は敏感に感じ取り、戻した視線。
再び見えた諸葛亮の表情には、大した変化は見られないのに。

はその時、彼の目が笑っていると確信した。
瞠目している内に、ゆっくりと動く諸葛亮の口元。


「策は今日まで一度も、兵達に口外した事は無いのですが」
「え!?うっそ……っっ!!」


そしてにとっての爆弾発言投下。
予想だにしていなかった事態に、思わず反射的に立ち上がる。
信じられない、まさか策の内容を聞く事が、ボロを出させる計略だったとは。
全て言ってしまった手前、取り消す事も出来ない。
どうして口外されていない策を知る事が出来ようか。

慌てるを、諸葛亮は相も変わらず涼しげな目で見つめ。


「大体、嘘です」
「ぅ嘘なのかよっ!!?」


そのままさらりと嘘を肯定されて、はつい条件反射で突っ込み。


「諸葛亮……あまりからかうでない」


劉備の呆れたような諫めるような声音を聞き、立場を弁えない己の発言にしまったと思うも。


「いくら策の漏洩を防ぐ為と言っても、こんな直前まで黙っていては策が末端まで伝わらないおそれがありますからね」


まぁ、嘘です。
ポーカーフェイスとは斯くあるものかと感心させられる表情で言ってのける諸葛亮は、目の前の娘の発言を大して気にしていないようだ。
寧ろその弁えない反応を見て楽しんでいるようでもある。
劉備のたしなめるような物言いから考えても、この感覚に間違いはないだろう。

劉備にたしなめられる諸葛亮。
逆の関係の方がイメージしやすいだけに、目の前の光景を面白がってしまった。


「大体嘘ではありますが、東南の風に関してのみ言えば真実です。今日までこの策は他言せずにいました」
「では…先程の申し合わせが」
「口外するのは初めてです。策が成る確率が低すぎる上に、成らねばこちらにも被害が出る」


そこで、劉備に向けられていた目がに戻ってくる。


「その、誰も知らなかった筈の策を、貴女は事前に知っていましたね」
「……あっ……」


   『風を呼ぶお祈り    

示唆され初めて、この部屋を出て行く時に残した自分の言葉を思い出した。

目の前に、これから戦に身を投じようとする、一方的に見知っている人物。
その相手に、何も言わないまま別れてしまうのはあまりに惜しいと思ってしまった事。
咄嗟に口から出たその言葉に引っかかりを覚えた諸葛亮が、このような尋問という場を設けてまでの言動の本意を確かめた。
誰にも話していない筈の、実行するかも決めていない策を知っていた娘。


「貴女の反応を見る限りでも、軍で話を聞いたという訳でもなさそうです」


策が兵にまで伝わっていないと言われ、兵から聞いたとしていたはそんな馬鹿なと慌てた。
結局、『そんな馬鹿な』は正しく、諸葛亮の言は嘘であったのだが。
反射的に出てしまった反応が、今この場で言い逃れ出来ない証拠になってしまうとは。

深く考えず、その場の勢い、当たり障りのない解答で何とか逃れようとしたのは甘かった。
こちらの逃げの姿勢すら見越したかのような、鮮やかな手際。

ああ、これこそが諸葛孔明の深謀遠慮か。


「さぁ……教えて頂けますか?知る筈のない、知る事の出来ないことを、貴女が知っていた理由を」


穏やかで涼やかな眼差しには、答えを拒否する選択を排する力がこもっている。

浅はかだったのだ。
この男を相手に、適当に情報を隠すだけでやり過ごせると思った自分が。


完敗だった。




















負けました。フツーの女子学生が滅多な事では孔明に勝てません。
一応公式設定22なので若気の至りというか、達観したような所を滲ませつつまだまだ若いんだぜというか。
わたわたしてるヒロインを見て面白がってる、そんな諸葛亮@良い性格。

蜀は倭と交易してないのでさしもの孔明も倭なんて国は知りません。
何てったってこの連載書く戯が鈍ちんなんですもん。
『魏志倭人伝』の魏があの魏だって気付いたのも連載書き始めてすぐ位だったんです。
だからね、そんな人が書く連載のキャラクター達も鈍ちんで良いんじゃないかなって!ね!!(いやいや)
世に名を馳せる諸葛亮も戯の手にかかっちゃ形無しだね!!
(そして魏の国名だけでテンション上がってる事実)



2007.1.14
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