保健室
ぱたぱたと可愛らしい足音を立てて近付いてきたかと思えば、すぱーんと勢いよく保健室の障子を開けた子供が。
「あにさま大丈夫っ!!?」
今にも泣きそうな顔で、手当てを終えたばかりの職員の人に抱きついたのを見て。
善法寺伊作は、目を丸くして驚いた。
留三郎に連れられて保健室に来た、新入職員のさん。
就職して早々、罠にかかってしまうとは、ご愁傷様としか言いようがなかったけれど。
突然の乱入者に、そんな同情の思いも吹き飛んでしまった。
「えー…と。くん、その子は?」
とりあえず努めて冷静に、子供が誰なのか聞いてみた。
を「あにさま」と呼んでいた次点で、大方の見当はついているのだが。
条件反射で子供を抱き留めたは、びっくりしたような顔でこちらを振り向いた。
のも、束の間。
「…私の妹ー」
びっくりした顔は、見ている内に溶けるように笑み崩れていって。
これぞメロメロという表現が最も相応しい顔をして、答えた。
「どしたのカスミー誰からあにさまの事聞いたの?」
「くノ一教室の人が、あにさまが傷だらけで保健室行くの見たって言ってたから…」
「で、急いで来てくれたんだ。心配させてごめんね、あにさま手当てしてもらったからもう大丈夫だよ」
「ぅうぇぇえ〜…」
「ああほら泣かないの!カスミは強い子でしょ?」
妹と二人だけの世界に入ってしまって、こっちの事なんて放ったらかしも良い所だ。
余程妹の事が可愛いとみえる。
丁度手当ても終わった所だったし、構わないと言えば構わないのだが。
ここまで存在を無き者にされてしまうと、何だか空しくなってくる。
あまりに手持ち無沙汰なので、手当てに使った消毒薬等を片づけてしまう事にした。
その片づけの合間に、妹さんの観察もしてみる。
ぽろぽろこぼれる涙を拭ってもらっている小さな子供。
女の子。
くノ一教室の制服を着ているから、生徒なのだろう。
けれど生徒にしては、少し幼すぎるようだ。
まだ七つか八つ位にしか見えない。
栄養不良による発育の遅れか。
戦の多い地域では、そういう子供も珍しくない。
「ほら、あにさま手当てしてくれたお兄さんにお礼言って」
「あにさまを治してくれて、ありがとうございます…」
「いいえ、どういたしましてー」
「カスミ、あにさまもう大丈夫だから。くノ一教室戻んなさい」
「うん…」
涙と洟でぐしゃぐしゃの顔を一生懸命袖で拭って、抱きついていたから離れる。
小さな足音を立てて入り口まで駆け戻り。
泣くのを堪えた顔でぺこりと一礼。
障子を閉めて戻っていくのを、と二人で見送った。
「…可愛いでしょ?」
「…うん。素直で良い子だね」
「でしょー!」
妹がいなくなったらいなくなったで、目尻を下げ幸せそうな笑顔。
あれだけ素直な妹がいたなら、実際幸せなのだろう。
その幸せ真っ直中のに、水を差す事になるかも知れないが。
伊作はさっきから気になっている事を聞いてみる事にした。
「ねえくん、妹さんって今幾つ?」
「今年で八つー」
「あ、何だ……」
「何だ?」
「ううん、見た目相応の年だったなーって…」
密かに心配していた、栄養不良の問題はないようだ。
八つであの成長具合なら十分健康体といえる。
保健委員として少し安心した。
安心と同時に、湧き上がってくる疑問が一つ。
忍術学園に入学出来る年齢になるまで、の妹はまだ二年も幼い。
なのに何故、彼女はくノ一教室の生徒として在籍出来ているのだろうか。
「言いたい事分かるよ」
質問された事で冷静になったのだろう。
幸せ笑顔の余韻を残しつつ普段の顔になったが、こちらを向く。
「入学にはまだちょっと早かったけど、学園長に頼み込んで編入させてもらったんだ」
「へえ…よく許しをもらえたね」
「まあ、あの手この手を使ってね。
私達、親がいなくてさ。私がここに働きに来ちゃうと、あの子一人にしちゃうから。
だったら、ちょっと早いけど忍術学園に入学させちゃえーって感じで」
ていうか、その事情話したらあっさり編入OKもらえたんだけどね。
気の抜けた笑顔でがピースする。
さらりと軽い感じで話されたけれど。
これは思いがけない話を聞かされてしまったものだ。
そっかー、と笑う事も出来ず、微妙な表情になってしまう。
「そっか…大変なんだね」
「言葉でいうほど、大変じゃないけどね」
「何か困った事があったら言ってくれよ。ぼくで出来る事なら手伝うから」
「あはは、ありがとー」
こちらの神妙な表情に気付いているのかいないのか。
は軽く笑うと、弾みを付けて立ち上がり出入り口に向かった。
「さて、掃除の続きしなきゃ」
「そう。罠にまたかかわないようにね」
「不運委員長にそれ言われたくないなあ」
「…誰に聞いたの?」
「食満くん」
の口から「不運委員長」の単語が出て来た事で、何だかがっくりと体の力が抜けてしまった。
留三郎。
部屋に戻ったら恨み言の一つも言ってやる。
心中密かにそんな決意をする。
障子が開く、軽い音がした。
「手当てありがとう。頑張れ伊作くん!」
不運に負けないように!
グッとガッツポーズを置き土産に、は保健室から出て行った。
なりたくて不運になった訳ではない。
励ましてくれる心遣いに、逆に追い打ちをかけられた気分だ。
「……困ったな」
への協力的な気持ちと、励まされて落ち込む気持ち。
二つの間に挟まれて、何とも微妙な気分になりながら。
それでも、に対して嫌な印象などなくて。
伊作は保健室で一人、困ったように笑った。