猫
小さなくのたまが、木を見上げていた。
脇目も振らず見つめるその顔は、ひどく緊迫していて。
中在家長次は、小さなくのたま…カスミの目の先に有る者が気になり、その傍へと歩み寄る。
「どうした」
「あ…」
声をかけると、思いがけず怯えた態度を取られた。
身を竦ませ、こちらを見上げるその目が、不安げに揺れている。
人相の悪さは自覚している。
そのせいでカスミを怖がらせてしまったか、と少し反省し。
人相はしょうがないとして、カスミを安心させようと、膝を折って目の高さを合わせてやった。
引きつった表情に変化は見られないが、体の強張りは多少解けたようだ。
それを確認した上で、もう一度同じ質問をする。
「木の上…猫が…」
単語での回答。
小さな手が指差す先を目で追うと。
木の上で鳴き声を上げる、小さな生き物がいた。
生後半年も経っていないだろう、茶色い毛並みの仔猫。
枝に必死に爪を立て、懸命に何かを呼んでいる。
「降りられなくなったか」
親猫は何処に行ったのだろう。
かなりの高さに仔猫一匹、他の姿は見当たらない。
カスミの不安げな眼差しに目を戻した。
あれを見つけたはいいが、自分では助けられず、立ち往生していたというところか。
木登り出来るだけの身軽さは、まだ身につけていないようだ。
長次は、カスミの頭に軽く手を乗せた。
小さく身を竦ませるカスミを尻目に、立ち上がり、地を蹴る。
淀みない所作であっという間に木に登るや、抵抗する暇も与えず仔猫を保護し、
またあっという間にカスミのもとへ戻ってくるのだった。
「あれー、長次くんが助けてくれたの?」
ハシゴを携えたがやってきたのは、仔猫がカスミの手に渡される頃のことだった。
小走りで来ていた歩調を緩め、傍で立ち止まったは。
ハシゴを支えに座り込み、盛大な溜息を吐いた。
「なんだー…ハシゴ抱えて走り損じゃん、私」
「あにさま大丈夫?疲れた?」
「うん、ちょっとだけね。大丈夫よー」
仔猫を抱えたカスミが心配した顔での傍らに寄り添う。
ただそれだけで、疲労の色の濃い顔に、幸せそうな表情が上った。
が長次を見上げる。
「ありがと、長次くん。猫」
「いや…」
小さくかぶりを振る。
自分の行為は間違っていない筈だが。
自分より小柄な体でハシゴを抱え走ってきた姿を見た後では、
何故だか少しだけ悪い事をしてしまったような気になる。
間が良かったのか悪かったのか、長次がこの場に現れた為、が探してきたハシゴは全くの無駄となってしまったのだ。
それでも以前なら、が骨折り損となろうともそこまで気にしなかっただろうが。
今は、が女であると知ってしまっているから、余計に。
「さーじゃあ頑張ってハシゴ返してこようかな!」
カスミも一緒に来る?
立ち上がって、カスミの事を笑顔で見ながら声をかける。
そのから、ハシゴを奪い取った。
「…持とう」
が与り知らぬ所での罪悪感。
その罪滅ぼしのつもりで、代わりにハシゴを肩に担ぐ。
初めは何をされたのか分からずきょとんとしていただったが、長次が先になって歩き始めると、
「ありがとー長次くん。おにーさん優しいねーカスミ」
「やさしー!」
にこにこ。
楽しげに笑いながら、カスミと共に長次の後をついて来るのだった。