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【2】





 夜が明けるのを待って外へ出たノヴムが戻ると、ポルナレフは既に目を覚ましていた。
まだ寝ていると思って音を立てないように部屋へ入ったが、起きているならもう気を遣う必要はなさそうだ。

ドアから手を離して部屋の奥へ進む。
留守宅へ不法侵入している手前、朝になったからとカーテンを開けることは出来ない。
その為、明るくなり始めた外に反して、この部屋には未だ夜の気配が残っていた。

「気分はどう?よく眠れた?」

声をかけつつ、ベッドのそばで立ち尽くすポルナレフの前を横切り、テーブルへ向かう。

足元には、昨日ポルナレフが取り落したミネラルウォーターの瓶がそのまま転がっている。
とりあえずそれはそのままにしておいて、ノヴムは抱えていた荷物をテーブルに乗せた。
片腕で抱えられるサイズの紙袋だ。

袋の口を開けて中へ差し込もうとした手を、横から掴み止められた。

「……どこへ行ってた?」

低く感情を押し殺したような声にノヴムは視線を上げ、自分よりもひと回りは大きな手で腕を掴んでくるポルナレフを見る。

ひたと向けられる彼の青い瞳がわずかに揺らいでいる。
眼差しの奥には不信感と警戒の念があるのだろう。
部屋が薄暗いこともあってきちんと見えている訳ではないが、見えていなくてもそうと分かった。

ポルナレフを置いて外へ出た時点で、彼が疑いの目を向けるだろうことは想定済みだ。
安心なさいと語りかけるように、腕を掴むポルナレフの手に、空いている方の手で触れる。
寝起きだというのに、その手は少し冷たかった。

ふと思い出すのは、縋る腕、堪えた嗚咽。
昨日見せられた彼の弱い部分。

互いの感情に違いはあれど、今の状況はあの時と同じだとノヴムは思う。

突然こんな逃亡劇に巻き込んだポルナレフに対する憤りと反発は未だこの胸の内にある。
けれど、今はその彼を宥める立場にある自分を意識すると、頑なになっていた心が少しだけほぐれていく気がした。

「朝ごはんもらってきたの。昨日から何も食べてないからお腹空いちゃって」

少しだけ笑ってみせる。
おそらくはぎこちない表情になっていただろう。

ポルナレフはこちらに向けていた目を丸くして、瞬きを繰り返していた。
腕を掴んでいた力が緩むのを感じたので、重ねていた手で軽く叩いて促すとすんなりと解放された。

改めて、テーブルに置いた紙袋の口へ、自由になった手を差し入れる。

「出来たてよ。あなたもお腹空いたでしょう?」

紙に包まれた、手に少し余るサイズのものをふたつ取り出し、その内ひとつをポルナレフへ押し付ける。
咄嗟に受け取ってしまったポルナレフが呆気に取られるのを横目に、ノヴムは自分の分の包みを広げた。

中が見えると同時、立ち上る湯気と食欲をそそる匂い。
香ばしく焼かれたパンにチーズや具材を挟んだ、出来たてのパニーノだ。

この辺りは朝の早い労働者が多い地域らしく、足早に道をゆく人をターゲットにした軽食の屋台がいくつも出ていた。
ノヴムはその内の一軒に目星をつけ、姿を隠す自らのスタンド『鉄の朱鷺アイアン・アイビス』を使って近づく。
店主には悪いが、今は人目につきたくない非常事態。
次があればその時に、今回の詫びとお返しをさせてもらおうと心の中で言い訳をして、パニーノをふたつ、くすねさせ てもらった。

「近くで屋台が出ててラッキーだったわ……ん、美味しい」

テーブルのそばのソファに腰をおろし、匂いに誘われるように一口。
周囲に気を配りつつの浅い眠りだったため、目蓋の上にまだ眠気が居残っていたのが、
新鮮なトマトの酸味、チーズとハムの旨味を舌の上に感じることで一気に覚めた心地だ。

空腹が求めるままに、もう一口、二口。
着々と食べ進める中、ふとノヴムがパニーノから目を上げる。

未だ包み紙を開けないまま、ポルナレフがぼんやりとした目をこちらに向けていた。

「……私が戻ってきたことが不思議?」

一旦食べる手を止めて率直に尋ねると、ポルナレフの瞳が揺れた。
そういう反応にもなるだろう、とノヴムは思う。

元々は命を狙ってきていた相手が、眠っている間に姿を消したと思いきや、朝食を調達しに行っただけだといって戻ってきた。
その行動を、ノヴムがポルナレフの立場だったとして、果たして信用できるだろうか。

「少し、私の話をしましょうか」

不審の塊でしかない自らの行動。
これに納得してもらうには、こちらから胸襟を開くのが道理だと、朝食を手に入れた時にはその解に辿り着いていた。

必要なこととはいえ、思い出すのは少し苦しくもあったが、経過した時と共に心の整理はついている。
小さく息をついて、ノヴムは口を開く。

「名前を捨てたと言ったでしょう。『新』としての私は、五年前に死んだの」
「死んだ……?」
「ええ、両親と共にね」

青い瞳が少しだけ揺れた。
同情、憐れみ、そこに浮かんだ感情が何なのか、ノヴムには分からない。
共感を得たくて切り出した話題ではない。
ノヴムにとってそれは過去に起きたただの事実であり、ポルナレフの信用を得るための手段だ。

「家族旅行の最中だった。妙に慌てた人が、手に持っていたライターに火を点けるのを見かけて……気が付いたらひとり、ドゥイリオの家にいたわ。
私達は組織……『パッショーネ』の入団試験に巻き込まれた。両親は死に、私は運悪く生き残った」

外から鍵のかけられた見知らぬ部屋。
包帯を巻かれた体と痛み。
ここはどこで、今は何日か。
父と母は。

何もかもが分からない中、ただひとつ、自分が『非日常』の世界に置かれたことだけは嫌でも理解した。

恐ろしくて、差し入れられる食事にも手がつけられず、原因不明の熱に浮かされながら一日中部屋の隅でうずくまっていたのを覚えている。

「弱っていく私に会いに来たのは、ドゥイリオの父親。パッショーネの幹部で、親を亡くした私を養子にすると言った」

『何も知らない君達を巻き込んでしまったことはいくら謝っても償っても足りるものではないが、
試験に合格した者をこのまま帰す訳にはいかないのだ。
関わってしまった以上、生きたければ戦うことを覚えなさい。自分の戦い方を覚えなさい。ここはそういう場所だ』

ギャングの幹部という肩書に対して、ドゥイリオの父親は誠実な人だった。
子供相手にも誤魔化さず事の顛末を聞かせ、親を奪ったことにも頭を下げてくれた。
そこまでしてくれたからこそ、もはや『日常』には戻れないことが理解できたし、
囚われの身となっては理不尽を嘆き憤る自由もないと諦めもついたのだ。

彼の差し出す手を取った時、『新』は『ノヴム』となり、『これまでの生活』を失った代わりに『ギャング幹部の娘』 という立場を手に入れた。

「私はなりたくてギャングになった訳じゃない。生きる為には、これ以外の未来が残されてなかっただけ。
ドゥイリオ達には感謝してるわ。こんな私にとても良くしてくれて、お陰で私は今日まで生きて来れたんだもの」

けど、とノヴムは言葉を切る。

「今となっては、仮に貴方を置いてドゥイリオのもとに逃げ帰ったとして、生きていける保証はない。
貴方も組織について嗅ぎ回っていたのなら分かると思うけど、あそこは疑わしきを見逃してくれるような甘い所じゃないもの。
どんなに上手く立ち回っても、私は何らかの形で必ず罰されるわ」

『ポルナレフの居場所』という手土産を持ち帰ろうと、疑いを持たれた時点で命の保証などない。
疑われた者の末路として、『どこかのチームで下手をうった誰かが、謎の失踪や不可解な死を遂げた話』は時折風の噂で耳にしていた。
このままでは自分もその話のひとつとして加えられてしまう。
その運命から逃れる為には、組織に戻る以外の方法を考える必要があるのだ。

「私は、死にたくない。だからここに戻ってきた」

夜が明けるのを待ちつつの浅い眠りのさなか、考えて考えて。
それが一番、生き延びる可能性が高いという答えに辿り着いた。

「取引よ。私は貴方が組織から逃げる手伝いをする。その代わり貴方は、私が組織から逃げきる手伝いをして頂戴」

不服だの不満だの言ってはいられない。
全ては自分の命を守り――そしてポルナレフが、捨てて以来誰にも話したことのなかった名を知っていた、その理由を知る為に。

ノヴムは、彼と共に行動すると決めたのだ。

「……信用できない?」

話が一息ついたところで、ポルナレフを窺う。
ぼんやりとしていた表情は、いつの間にか驚きを含んだものへと変わっていた。
戸惑いを浮かべた目で、考え込むように口元を押さえる姿に、知らず食べかけのパニーノを持つ手に力がこもる。

伝えた言葉に嘘偽りはない。
しかし、もとは追っ手として銃口と敵意を向けた身。
自分の言葉を、彼は受け入れてくれるのだろうか。

ポルナレフの目が、緊張と不安から固唾を呑むノヴムのそれとかち合った。

「……いいや」

一度何かを呑み込むように俯くと、

「信じるさ。信じてる。君がおれに向ける言葉に嘘はないと、昔っから知ってるからな」

再び向けられた目が細められる。
薄暗い部屋の中で分かりにくかったが、それは優しい笑みの形をしている半面、悲しげな色が浮かぶようでもあった。
相反する印象を抱かせる表情が気になって、ノヴムはついポルナレフをじっと見つめてしまう。

言葉のない時間。
ポルナレフの手が伸ばされて、ソファから見上げるノヴムの頬に触れた。

先程手を重ねた時とは違い、確かな温もりを感じる。

「……また、私の知らない昔の話?」
「そうだな。今の君が知らない、昔の話だ」

ポルナレフの触れる側へ首を傾げて少しだけ笑う。
伝わってくる体温が心地良く、身を任せるように目を閉じる。

五年前と昨日。
『日常』から『非日常』へ強引に巻き込まれる点は同じだが、心境は随分と違う。

ノヴムは不思議でならなかった。
かつては閉ざすことで守った心が、今は手のひらの温かさに安心し、頑なだったものがゆっくりとほどけていく感覚すら覚える。

もう少しこうしていたいとも思ったが、気を抜くにはまだ早すぎる。
意識を切り替えて目を開けたノヴムは、

「昔話についてはまたあとで。今はこの状況をどう打開するかを話すのが先よ」

いつの間にか近付いてきていたポルナレフの口元めがけ、食べかけのパニーノを押し付けた。










「ライターの火」
ライターの再点火。パッショーネの試験。あれです。



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