【3】
パニーノを入れていた紙袋をゴミ箱代わりに、食べ終わって軽くなった包み紙を小さく折り畳んで捨てた。
「ネアポリスの港から船に乗って、フランスへ渡ろうと思うの」
空いた手でミネラルウォーターの瓶を取り、今日これからの行動を伝える。
ベッドに腰掛けて、もぐもぐと口を動かしているポルナレフと目が合った。
食べ始めるのが遅かった分、彼の手元にはまだ三分の一程度パニーノが残っている。
「……船でフランスへ」
「ええ。コルシカ島へ向かうフェリーが出ているから、まずはそれに乗って」
口の端についたトマトソースを親指で拭い思案気に繰り返すポルナレフへひとつ頷き、手にした瓶を傾けて喉を潤す。
ティレニア海に面するネアポリスの港からは、カプリやサルディーニャ等、幾つかの島を結ぶフェリーが発着している。
その航路のひとつに、フランス領コルシカ島へ向かうものがあった。
これに乗りコルシカ島ポルト=ヴェッキオの港を経由してマルセイユを目指すというのが、の立てた算段だった。
「飛行機や鉄道に比べれば時間はかかるけど、乗ってしまえば人目につきにくいし、警戒もしやすい。
何かあった時に逃げ場がないってのはネックだけど……それはどのルートをとっても変わらないし、ね」
飛行機で空路をとるのが一番早いが、搭乗を一人ひとり確認する為人目を忍んでの移動には向かない。
鉄道は人に紛れて移動できるが、陸路を行く分いつどこで追いつかれるかも分からず、常に周囲を警戒しておく必要がある。
対して海路なら、他のルートの難点をカバーできる。
飛行機ほど乗船時の確認は厳しくなく、追っ手がかかったとしても、海上で近付いてくる不審物は自分達よりも船員が
先に気付くだろう。
「……どう?」
相応の根拠があっての提案だったが、ポルナレフの反応は鈍い。
考え込むように目を宙へ彷徨わせながらパニーノを頬張る姿に、つい不安になって窺うように尋ねてしまう。
「ダメかしら……?」
「……いや、悪くない。フェリーにはおれも賛成だ。
というか、おれも一度は考えたんだ」
「本当?」
「ああ。だが、難しいぞ。国外に逃げることなんざ奴らもお見通しだ。先回りして港を張られて、チケットすら買えずに終わりだ」
肩を竦めながら話す姿には妙な実感がこもっている。
行動を起こしてみて、実際に自分が体験したのが今の内容なのだろう。
今もなおこの場にいることから、芳しくない結果に終わったことが察せられる。
組織の影響はイタリア国内あらゆる所に及んでいる。
この国から脱出しようと打つ手の全てに先回りしていても何らおかしくはなかった。
その包囲網をどう潜り抜けるのか。
ポルナレフの反応が鈍かったのは、その一点に思考が注がれていたからだ。
「……良かった」
ノヴムは笑う。
「……にゃにを?」
呟きを聞き咎めて頓狂な声を上げるポルナレフへ、
「危険を冒してチケットを買わなくても、フェリーには乗れるわよ」
答えて、自らのスタンドを発現させる。
難しいと思う理由が組織の目にあるなら、自分のスタンド能力が役に立つはずだ。
縦半分に割れた能の面をつけた和装姿の女性。
肩から袖先へ向かって鳥の翼へ変化する腕で、の体を包み込む。
視界に紗がかかると同時、それまでしっかりとこちらを向いていたポルナレフの眼差しが泳いだ。
今、彼の目にノヴムの姿は映っていない。
スタンドの姿と共に消えたように見えたはずだ。
腕の中に包み込んだ者の音、姿、気配を隠す。
それがスタンド、『
「人に見つかりたくない時に、私の能力はうってつけ。大丈夫、きっと組織に見つからずに逃げきれる」
翼のカーテンをめくって姿を現し、自信を乗せた声音で言い切る。
の姿を見つけ、ポルナレフは呆気に取られたように目を丸くしていた。
【4】
ポルナレフが探る、或いはが属する組織、『パッショーネ』は、イタリア各地で侮れない影響力を有する。
交通網、マスコミ、通信等、あらゆる媒体に伸ばされた根は、国内にあっては到底掻い潜れるものではなく、
それによって外との繋がりを断たれたポルナレフは孤立無援の戦いを強いられたという。
しかし、イタリア国内にあっては密な監視の目も、一歩外へ出られれば必ず「穴」が出来るはず。
達はそこを突こうとしていた。
ポルナレフ曰く、調査にあたり支援してくれていた財団があるという。
フランスへ渡ったらまずはそこへ連絡を取り、協力を仰ごうというのが当座の目標となった。
隠れ家としていた空き家を出て、はポルナレフと二人、ネアポリスの港へ辿り着いていた。
スタートが見慣れない街並みだったとはいえ、徒歩で逃げ回って行ける範囲などたかが知れている。
標識を頼りに移動すればすぐに見知った道が現れ、開けた視界にネアポリスの湾が広がった。
まだ早朝といえる時間だったが、観光地を繋ぐ幾つかの航路は既に運航を開始している。
船が到着する度に、船着場の前は乗降客の入れ替わりでごった返した。
人目を忍ぶ必要がある今、あの人ごみに巻き込まれたくはなかったので、達は少し離れた建物の陰に身を隠し、
目当てのフェリーが到着するのを待つことにした。
昨日までの晴天から代わり、空には薄く雲がかかっている。
東に見えるヴェスヴィオ火山の威容は白く霞み、海原もまた鈍色の空の色を映して静かに揺れていた。
風もなく、おそらくこれ以上天気が崩れることはないだろう。
状況が状況だけに気を休めることは出来ないが、船旅としては快適なものになりそうだ。
そんなことを考えながら、遠洋、少しずつ近付いてくるフェリーの影を眺める。
「多分私達が乗るのはあれね。
港に着くまでもう少しかかりそう」
「そうか。……、あんまり離れないでくれ。おれの姿が見えちまう」
建物の陰から身を乗り出すようにして港の方を窺っていると、ぐいと肩を引かれた。
咄嗟に反応できず、バランスを崩しよろめく体をそのまま引き寄せられ、気付いた時にはポルナレフの腕の中にすっぽりと収められてしまった。
物陰に身を隠した上で、頭上にはのスタンドが発現している。
翼の形をした、腕と一体となった袖の内側に対象を包むことで姿を見えなくするが、以外をこの能力の影響下に置くには、の体に触れていることが条件となる。
その為、ポルナレフにも肩に手を置いてもらっていたのだが。
「……こんなに密着する必要はないんだけど?」
離れそうだったので心配になり引き戻そうとする、その気持ちは分かる。
しかし肩に手を置くとか手を繋ぐとか、その程度の接触で十分なのに、
を引き戻した上で密着するように抱き込まれているこの現状である。
抗議の意味を込めて頭上を振り仰ぐと、何故か少し楽しそうな顔が、を見下ろしていた。
「うっかり離れちまうよりはいいんじゃねえか?減るもんでもないだろ」
「動きにくいのよ」
「動かなきゃいけない時が来たらちゃあんと離すさ」
言外に込めた「離せ」という主張を分かっているのかいないのか、身じろぐを抱く腕の力が緩む気配はない。
ポルナレフが戦闘技術に長けているとは前情報で知っている。
それを加味しても、腕に人を抱いている不自由な状態では有事の際に咄嗟に動けるとは思えないのだが。
「何を考えてるんだか……」
ある意味拘束されてしまっている不自由さもあり、つい苛立ってしまった語気に、
「をまたこうして抱き締められる幸せをよ」
特に気分を害した様子もなく、むしろ柔らかな語調で返されて、は続く言葉を失った。
「ここをしのいだら、を見つけたってジョースターさん達にも知らせてやるんだ。
承太郎なんかは顔に一切出さなかったが、お前がいなくなってみんな心配してたんだぜ」
聞き覚えのない名前。
細められた青い瞳は、きっとまたを通しての知らない「昔」を見ている。
気にならないと言えば嘘になる。
ジョースターとは、承太郎とは。
の知らない『』は、彼らと共にどんなことをしたのか。
興味はあったが、今は悠長に昔語りを聴いている場合ではないと、尋ねたい心を理性が邪魔をした。
それにポルナレフのこの表情、この眼差しで見つめられると、密着している背中や肩が急に意識されて、落ち着かなくて仕方がない。
「……知らない人の話をされても困るわ」
「ああ、やっぱり覚えてないか。おれを忘れちまってる時点でそうだろうとは思ったが」
平静を装うために素っ気なくなってしまった返しにも、少しだけ残念そうな口ぶりでにこりと笑うだけ。
「いいんだ。何か訳があって思い出せないでいるだけなんだ。こうして話している内に、何かのきっかけで思い出すこともあるだろうよ」
「知らない」と言い続けられるのは決して気分のいいものではないだろうに、それでもポルナレフは笑って許容する。
いっそ責めてくれれば楽なのに。
受け入れられてしまうと、知ったことではないと突っぱねることも出来ない。
責めないでいる優しさが、逆にに居心地の悪い思いを与えていた。
「ネアポリス→コルシカ島→マルセイユ」
ポルナレフの故郷と思しき場所として「ルールマラン」を挙げた方がTwitterにいて、
ルールマランに一番近い港がマルセイユだったのでマルセイユとナポリを繋ぐ航路を探しました。
イタリアを上手く脱出出来ていたらマルセイユからポルナレフの故郷までのんびり二人旅してたんじゃあないでしょうか。
戯
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