港の方へ目を向ける。
フェリーの到着はもう少し先だろうが、ポルナレフの眼差しから逃げるにはそうするしかなかった。
相変わらず忙しなく人が入れ替わる船着場の前。
ポールや柵に体を寄りかからせて、目当ての船が来るのを待っている者の姿もちらほらと見える。
その景色を何度か往復させたの目が、ある一点で止まった。
「ドゥイリオがいる」
船着場の前、人ごみからやや離れたポールに体を預ける、よく見慣れた男の姿があった。
短く刈り込んだ黒髪に細身の長身、彫りの深い顔立ちに収まったブラウンの瞳が、何気ない動きで辺りを探っている。
ドゥイリオだ。
こちらの事情を何も知らないはずのドゥイリオが、鉄道でも飛行機でもなく、海路を選んだ自分達の前に姿を現していた。
の声に反応して、ポルナレフもまた確認しようと身を乗り出す。
「昨日のあいつか?」
「ええ。……参ったわね、他のルートに向かってくれれば良かったんだけど」
抱きかかえられているため、必然的に圧し掛かられるような形になったが、
重いと苦情を言う間も惜しんでの頭は目まぐるしく動き出す。
「気を付けて。ドゥイリオは私のスタンドについてもよく知ってる」
ドゥイリオ・は、恐らくこの世界で最も『』を知る人物だ。
試練に巻き込まれスタンド能力を得たに、スタンドの扱い方やギャングとしての作法を教え込んだ。
『』を形作った男と言ってもいい。
そのドゥイリオが船着場に現れたのは偶然などではないだろう。
の思考を踏まえた上で、彼は今この場にいる。
つまり自分は、ドゥイリオに組織の裏切り者として――ポルナレフに与したものとして、認識されたのだ。
ドゥイリオは常にのそばに立ち、見守り、導いた。
もまた彼に寄り添い、右も左も分からない状態から様々なことを学び取っていった。
ギャングに身を置いたのは本意ではないが、そうして二人歩む過程で築いた信頼は今も変わらない。
そう思っていた。
そうせざるを得ない状況だったとはいえ、信頼を裏切ったのはこちらが先だ。
そしてがそれを受け入れた時点で、こうなることは確定していたのだろう。
胸を満たす僅かな寂しさを振り払い、はポルナレフを振り仰ぎ、
「ここにいるとドゥイリオの視界に入っちゃう。少し場所を移しましょう」
移動しようと提案した声が、尻すぼみに消えた。
眉間に皺を寄せ、唇を尖らせた顔がこちらを向いていた。
を責める意思が感じられるような、あからさまに不満を露わにした大の男のふくれっ面。
想像の埒外にある顔がそこにあり、一瞬動揺しつつ、
「……なに?」
表向きは平静を装って、不満げな表情の理由を問うへ、
「……お前、あいつの名前は呼ぶのな」
「は?」
返って来たのは、これまた想定外の回答だった。
「おれのことは昨日から全然呼んでくれねーのに。ちょっぴり複雑な気分だぜ……」
港に現れたドゥイリオの名を、ノヴムは
ポルナレフにはそれが不満であるらしい。
確かに、昨日出会い頭に確認して以来ポルナレフの名を呼んだ覚えはない。
ずっと二人で行動していたため、話しかければ対象は互いしかあり得ない状況で、名を呼ぶ必要を感じなかったのも事実だ。
用もないのに名を呼んで気を引くなど、友人や恋人でもあるまいに。
そこまで考えたところで、ははたと気付く。
「そんなこと言ってる場合じゃあねえのは百も承知だが……やっぱりよ、前のようにおれを呼んで欲しいとは思っちまうよな」
まじまじと凝視するの視線に堪えきれなくなったのか、ポルナレフの不満げな顔が苦笑へと変わる。
イタリアを脱出できるか否かの瀬戸際で主張することではないと、彼自身よく分かっている。
分かった上で、それでもなお口にしてしまったのは。
――『』が、ポルナレフにとって友人――或いはそれ以上の、そういう間柄であったからなのではないか。
昨日の出会いからこれまでに、「もしかしたら」と思わせる行動や言動はあった。
それに気が付く度に、何も知らないでいる自分が踏み込むんでいくのが何となくはばかられ、気付かない振りをして目を背けてきた。
けれど、ポルナレフと行動を共にするには、いつまでも避けてばかりはいられないようだ。
「……すぐには無理よ。ドゥイリオほど、私は貴方を知らないもの」
腹を決めて、ノヴムは口を開く。
「だから、ねえ、教えてくれない?」
今すぐでなくてもいい。
時間はこれから十分にある。
自分の知らない、『』とポルナレフの関係を。
貴方が知っている、二年前の私を。
「貴方のことを、気軽に呼べるくらい」
教えて欲しいと伝えて、ポルナレフへ笑いかける。
ほんの短い時間で、青の瞳がうっすらと涙に濡れていた。
自分の言葉が、彼の中のいずれかの感情に触れたのが分かったから、は自分を抱く腕を宥めるように撫でる。
「……」
それ以上の涙を堪え引き結ばれていた唇が緩むのへ、は小さく首を傾げ、言葉の続きを促す。
「あいたッ!?」
突如、何かがぶつかる衝撃と叫び声が上がった。
抱きかかえられていたので体勢を崩すようなことはなかったが、は驚いて声が上がった先を振り返る。
すぐ近くの地面に少年が倒れ込んでいた。
「いててて……ああッ!ご、ごめんなさい!ぼ……ぼく、地図を見ていて……前をよく見てなくって……!」
慌てて体を起こす、そのそばには小さなカバンと、一枚の地図が落ちている。
服装などから察するに、気ままな旅行者が地図を見ながら歩いている内に、運悪くぶつかってきてしまったようだ。
「お姉さんがいることにも全然気付いてなくって!ほ、本当にごめんなさい……!」
慌てすぎてどもりがちに謝る少年。
には既にその声は聞こえていない。
ポルナレフとの間に流れていた空気はとうに失せ、毛の逆立つような緊張が走っていた。
肩を抱く腕の力が緩んでいることに気付きつつ、離して欲しいと思っていたことも忘れて、が真っ先に確認したのは港の方向。
少年が上げた叫び声を聞きつけて、何人かの乗降客が振り返り様子を窺っている。
その顔ぶれの中に、ドゥイリオの顔があった。
ほうぼうに彷徨わせていた視線が、ぴたりとこちらを向いている。
その瞬間、は、自身のスタンド能力が解けてしまったことを知った。
影響下にあるものの姿、音、気配を隠すのスタンド『
隠密行動に適した能力ではあるが万能ではなく、幾つか欠点がある。
その内のひとつが、「第三者に触れられると強制的に能力が解除される」というものだった。
偶然にもぶつかってきた少年がこの場合の「第三者」に当てはまり、能力が解除されてしまったのだ。
「走るぞ」
頭上から鋭く短い声が飛ぶのへ、小さく頷くだけで応じる。
よく見れば、音に反応して振り向いた顔ぶれの何人かが先程よりこちらに近付いてきている。
見抜けなかっただけで、ドゥイリオの他にも追っ手はとうに集まっていたのだ。
「あ、あの、ちょっと訊きたいんですけど、お姉さん最初からここにいました?なんだか突然出てきたような気が……?」
ひとしきり騒いで落ち着いてきた少年がようやく疑問に思い至ったようだが、答える義理も余裕もない。
港へ目を向けて、じりと後ずさりながらタイミングをはかり、身を翻して一気に駆け出した。
ポルナレフに手を引かれ港から遠ざかるように走る中、は海を見た。
乗る予定だったフェリーは、甲板に立つ人の姿がはっきりと見える程に近付いていた。
後少しだったのに。
手を伸ばせば届きそうなところまできて、予期せぬ少年の登場で、また一から考え直さなければならなくなった。
複数の気配と足音が、怒号と共に追いかけてくる。
港が騒然とした気配に包まれるのを背に感じ、ちらりと振り返る。
怖い顔をして追いかけてくる男達。
その後ろで、柱から背を浮かせたドゥイリオの姿が小さく遠くなっていった。
「ドゥイリオに裏切り者として認識された」
親の心子知らず。ドゥイリオの心夢主知らず。
裏切り者として追われないよう組織に報告し、自分が一番に見つけて何事もなく組織に戻そうとしてくれているのを
夢主は知らない。すれ違い。
戯
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