殿はどのくらいここに滞在するつもりかね?」










   鴻飛天翔 こうひてんしょう  第十話










 話の途中で信玄に滞在期間を問われた。
そういえば部屋を用意されるがままに留まってしまったが、本当なら佐助から依頼料を受け取ってすぐに帰るつもりでいたのだ。
来るはずの無かった客は、実は迷惑だったのかも知れない。

そもそもここは国主の住まい。
間諜だと疑われ警戒されていたとしても当然の事だ。


「佐助に雇われた代価を受け取ったら、すぐに去ります。長居はしません」
「あいや、帰れと言っておるのではない。ゆるりと滞在し、負った傷を癒すが良い。ただのう…」
「ただ?」
「うむ、近々戦があるでな。巻き込んでしまわぬかと思案しておるのよ」


気を悪くさせたなら申し訳ない。
そう言って頭を下げようとする信玄を、慌てて押し止める。


      戦か


佐助の方を窺い見る。
考えてみれば、怪我をした佐助と出会ったのは戦場だった。
あそこで戦をしていた内のどちらかが今度の武田の相手で、佐助は敵方の情報収集に来ていたのかも知れないと推測した。

の視線と佐助の目は絡まない。
佐助は、それまで伏せていた顔を上げて、信玄の方を向いていた。

口元に、意味深な笑みを浮かべて。


「その事でちょっと相談があるんすけど」


不意の発言に、信玄の目が佐助へと移される。
何事か、と信玄が問う間に、の胸の内には何と無い嫌な予感が広がっていく。
予感の原因は、佐助の笑み。

何を言い出すのかと注視している先で、次の言葉が続けられた。




「いっその事、彼女を巻き込んでみちゃいません?」
「ほう、巻き込んでみるとは?」
「彼女を雇う気はない?って事です」




「……………………はっ!?


佐助の提案は、の判断能力を一時的に奪った。
大分間を空けて、ようやく事情を飲み込んで言葉もなく驚くを、ちらりと見やる佐助の目。

してやったりと言わんばかりに、満足そうな笑顔を浮かべていた。


「雇え、とな…ふむ、面白い。して、その理由は?」
「剣の腕前。真田の旦那以上とは言いませんけど、そこいらの将には負けないと思いますよ」
「随分買うのう。殿、佐助の話はまことか?」


問われた所で、既に話についていけていない。
ちょっと待ってくれと叫びたいが混乱していて、何も言えずに首を激しく横に振る位しか出来なかった。


「昨夜も敵を一太刀で斬り伏せて、自分は怪我の一つも無し。」
「脇腹の打ち身は何故負うた?」
「止むに止まれず、斬り付けから逃れる為に相手の懐に踏み込んで、槍の柄に打たれたんです」
「ほう、敵の懐に踏み込んだか。並の度胸では為し得ぬ事よ」
「見事な戦いっぷりでしたよー。俺様がほれぼれしちゃう位」


佐助、悪い気はしないけどそれちょっと褒め過ぎ。
信玄公、確かに相手に突っ込んで行きましたがそんな感心される程の行動じゃないです。
斬られはしなかったけど肋にひびが入ってしまったし。
というかこの怪我の原因はお宅の武将さんなんですが。

色々言ってやりたい事はあるのに、色々ありすぎて喉の所でつかえていて出てこない。
何とか声にしようと言いたい事を選別している内にも、話はどんどん進んでいってしまう。

嗚呼、伝えたい思いはこんなにも沢山あるのに、伝えられない状態の何ともどかしい事。
内心に渦巻く葛藤と佐助への突っ込みとでくらくらしてきて、堪えきれず頭を抱えた。


「む、どうされた殿。気分でも優れぬか?」
「ちょっと頭が……」
「それはいかん、少々無理をさせてしまったようじゃな。病み上がりに無理させた。部屋に戻りゆるりと養生されよ」

いや、病んではいないですが。
その突っ込みも喉の奥に消えていく。

養生せよと言われる程大した怪我ではないが、この場から解放されるには都合が良い。
何よりこれ以上大袈裟な話を聞かされるのは堪らなかったから、否定の言葉はそのまま飲み込んでおく事にした。


信玄に、辞去する断りを丁寧に入れてから、立ち上がる。
部屋を出ようと襖を開けた所で、背後に佐助が立った。


「ついてくよ。万一倒れられたらことだ」


が頭を抱えた理由を知ってか知らずか、そんな事を言う佐助。
特に拒絶も承諾も示さぬまま、は佐助と共に部屋を出た。















 に与えられた部屋に面した辺りの縁側で、二人並んで腰掛ける。
吹く風が心地よくて目を細め、ありきたりに「良い天気だね」とでも声を掛けようと隣を見た所で。
佐助は、口角を下げて物言いたげに見つめてくると目が合った。


「ん、何?その目は」
「何で前もって相談してくれないんだ。ああいう話をするならするって言っといてくれ」


何も言えなかったじゃないか、と口を尖らせる
彼女が言い指そうとしているのは、つい先刻の、信玄との対面の場での事。
佐助の口からまろび出たを雇ってみないかという、信玄への提案である。

信玄との対面の席でその話をした時、口をぱくぱくとさせるだけで声が出てこないの姿を目にしている。

絡繰り人形みたいで面白かったよー、という感想はを不機嫌にさせること必至なので胸の奥に留めて。


「ああ、その事ね。」


いかにも今気付きましたといった体で首肯した。


「その事ね、じゃない!何か私に言う事はないのか」
「いやー、あの場で唐突に思いついた事だったから相談する間も無かったんだよ。ごめんね」
「ん…そ、そうか?」
「そうなの。」


責めてくる前に、が憤っている原因を明らかにする先手を打つ。
あまり罪悪感というものはなかったけれど、だめ押しにもう一度「ごめん」と言う。
そうすると、真っ直ぐ射抜いてきていたの目が泳いだ。


「…じゃあ……いい。あの場で思いついたなら仕方ないよな」
「許してくれるんだ?俺様感激ー」


感情の矛先を見失ってしまったらしいは、逡巡の後に佐助を許した。
少し納得のいかない顔をしていたが、それ以上の追求をする気はもう無いようだった。

随分とあっさり許されたから、元々それ程怒っていなかったのかも知れない。
相手に余程の非がなければ、謝罪されて一度許した相手をまた責め立てるような事はしないだろう。
短い付き合いではあるが、とはそういう性質の為人ひととなりだと感じている。

許されてしまった事に、今更だが少しだけ罪悪感が芽吹いた。


の雇用を、武田に至るまでの道中で度々考えた事があったからだ。

初めて顔を合わせた戦場で見せられた身のこなしと刀捌きに、戦力としての魅力を感じた。
旅の道連れとして共にしてきた道中で、彼女の人間性ともいうものも見えた。
性は女であっても、志は立派に武士としてのそれであった。
武田、或いは真田の一員として迎え入れられる存在だと佐助は評価していた。

罪悪感を覚えたのは、その考えがあったにもかかわらず、たばかってしまった事。
「俺様感激ー」の軽い調子に対してが向ける白い目が、その事を責めているように思えた。


「許してもらった所で、どうよ?」


最早過ぎてしまった事に対する罪悪感は流し去り、改めて佐助は尋ねた。
武田に仕えてみないかという提案に、乗るか否か。

白かった眼差しが元に戻り、佐助を僅かの間見つめる。
そうしてから、は少し視線を泳がせた後、顔を伏せ。
そのまま後ろへ倒れ込み、縁側に寝転がってしまった。

佐助よりも背が低い為、縁側の幅でも障子に頭をぶつける事はない。
寝転がったは、軒の向こうに見える空を茫洋と見上げていた。

かち合わない視線。
横から眺めるその目に、忍としての眼が迷いを見た。


「嫌?仕える相手としては、大将は申し分ないと思うけど」
「随分信玄公の事を買ってるんだな」
「そりゃまぁ、一応主の主だし」
「答えになってるのか?それ。…まぁ、あの人が立派な人だってのは分かるよ。仕えてみたいとも思う。…けどなぁ」


が言葉を濁す。
何が引っかかっているのか、武田に仕える事に躊躇いを覚えるらしい。

その表情の裏に隠されているものを読み取ろうと眼差しを鋭くしかけて、すぐに止めた。
既に主を持った上で密命を帯び行動しているとか、そういった事を勘繰ってみたが、恐らく違うだろう。
の表情に見られる迷いは後ろ暗い物が何もない。
忍としての己の目を信じた結果の答えだ。
それに自分が案じたような事を胸に秘めている人間なら、もっと上手く理由をつけて断っている筈だ。


      こりゃあ すぐには答えを引き出せそうにないね


「ま、怪我が治るまでもうちょっとかかるし。その間ゆっくり考えといてよ」


この場で回答を得る事は無理だと判断した佐助は、と同じようにその場に寝転がった。
と違い、ここに寝転がると少し窮屈だ。
「んー」という生返事を横に聞きながら、軒の向こうに見える空の青を眺める。


を武田の戦力にと考える度、頭を過ぎる事があった。

が武田の者となれば、今ばかりでなく共にいられる。』

共に戦う仲間として、その存在を欲しているのだと、旅の間は思っていた。
男だと思い込んでいたからだ。
そうでなければ、共にありたいと思う自分に納得のいく理由がつけられなかったからだ。

しかし昨日、が女だと知ってから、その考えは改められた。
それすらも少し信じられなかったが、男だと思い込んでいた間の「理由」より納得が出来るのだから仕方がない。


自分は、の事が気になっているのだ。
武田の戦力としてではなく、一人の女として。


ちらりと横を見る。
寝そべっていても自分より小さいの頭が見える。

今は真田の為にのみ働く気でいるから、一人の事を想う感情など正直な所まだ要らない。
しかし要らないからといって捨てられるものではない。
持て余す己の感情。


      どうしたもんか


「どうしたもんか……」


佐助の内心の呟きそのままが、の口から発せられる。

茫洋と空を見るその目には、佐助の姿は映っていなかった。




















対お館様第二戦(何か違う)。
今回はヒロインへの気持ちを自覚する佐助をほんのりと書きたかったのでした。
後はお館様と佐助のペースについていけずにわたわたするヒロイン。

さて今後ヒロインはどう動くのか!待て次号!!
全く話変わるけど日本家屋大好き!!



2006.3.24
2009.1.30 加筆修正
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