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「……彼女?」
筆を滑らせていると唐突に脳裏に閃くものあり、思わず文字を綴る動きを止めた。
紙面へ向けていた視線を虚空へと投げ、先刻の会話とその相手の顔を思い出す。
ちらちらと泳ぐ視線は、思考の動きを思わせる。
「……成る程のう。とすれば、あの褒めようも少しは納得がいくの」
呟きながら、開け放たれた障子の先に見える陽光降り注ぐ庭に目を向ける。
口元に微かな笑みを浮かべながら、信玄は少し嬉しそうに目を細めた。
鴻飛天翔
こうひてんしょう 第十一話
あの猿飛佐助がお館様に対して、雇い入れを薦める程の腕を持つ者がこの館に滞在している。
そんな噂が広まりだしたのは、一体いつ頃のことであったか。
新が怪我の療養も兼ね、信玄の言葉に甘えて滞在を始めてから早五日。
何くれと無く世話を焼き、話し相手にもなってくれる千代から噂の話を聞かされたのは、昨日の事であった。
話の状況から考えて、噂されているのは自分だと考えてまず間違いはないだろう。
腕が立つと褒められて悪い気は起きないが、何だか変な感じだ。
話そのものが自分の耳に届いてこないから他人事のようにしか感じられない。
噂の中心が自分だという事が初めて実感出来たのは、縁側で横になり暖かい日差しを受けながら微睡んでいる時だった。
「もしや、あなたが英殿か?」
夢現の狭間を楽しんでいた所にかけられた声に、眉を寄せながらうっすらと目を開ける。
敷地を横切ろうとしていた足を止め、こちらに視線を向けている男がいた。
気怠く身を起こすと男もこちらに近寄ってくる。
手に長柄を模した棒を携えている。
鍛錬をしに広場へ向かっていた途中で新を見つけたという感じだろうか。
眠気が抜けきらず欠伸を一つ漏らし、新は答えた。
「いかにも英だが……何か?」
「おお、噂には聞いていたがまさか本当にこんな子供だとは…」
「……その『子供』に何か?」
「おっとすまん、口が過ぎた。随分と暇そうだがどうだ、暇なら一つワシと手合わせをしてみんか?」
日差しが眩しくて細めた目が捉える男は、たくましい体躯を有し、戦場でよく響きそうな声をしている。
如何ほどの地位の者かは知らないが、信玄の屋敷をうろつけるならあればそれなりの立場にいる者なのだろう。
初めて「噂」を切っ掛けにして話しかけられた。
噂話は本当にあったのかと、ぼんやりとした頭で認識する。
「……体慣らし程度で良ければ、付き合いますよ」
今は任務で佐助はいないが、絶対安静と強く言われてしまっている。
目付役のようにちょくちょく千代も様子を見に来る為、あまり無理は出来ないが。
だからといってじっとしているのが体に良いとも思えない。
少しくらいなら体を動かしてもいいだろうと判断して、新は宙に浮いていた足を地面につけた。
眠りかけていた体を軽く捻って目覚めさせ、体の奥から響く痛みに少しだけ顔を顰める。
新の様子に気付いているのかいないのか、男は明るい表情で礼を言った。
先導して行く先は、恐らく彼の当初の目的であっただろう広場。
武田の兵がどれほどの腕を持つものか確かめてやるか。
ひびが入った辺りをさすりながらも軽い気持ちは変わらず、新は男の後に続いた。
幸村は足を止め、今日もよく晴れ渡った空を仰ぎ見る。
これは絶好の鍛錬日和…だというのに、今の幸村の心は空のように晴れ渡っているとは言えない。
自分にしては滅多に吐く事のない溜息を一つ零す。
今の幸村の心を占めているのは、新に怪我を負わせたあの一件だ。
彼が敵ではないと知ってすぐに謝ったものの、戦時とあっては簡単に謝るしか出来なかった。
夜襲の軍を追い払い落ち着いた所で改めて謝罪しようと機会を窺いつつも、なかなか話せる機会が無く。
そのままずるずると、五日が経ってしまった。
きちんと謝らなければと思う反面、既に過ぎてしまった日数の長さがそこに躊躇いを生じさせる。
最早謝らなくても…と一瞬そんな考えが過ぎるが、即座に頭を振って掻き消す。
真田源治郎幸村ともあろう者がそのような心構えでどうする。
己の過ちから目を逸らす事なくきちんと償わなければ、お館様に申し訳が立たぬ!
「うぉぉぉ見ていて下されぇお館様ぁぁっっ!!」
この熱く滾る思いを槍に込め己が鍛錬の糧としなくては。
一人で勝手に盛り上がった気分に耐えきれず、全速力で武田の館の広場へと走り出した。
程なく、目当ての広場へと辿り着く。
「大事ないか、英殿!?」
そこで耳に飛び込んできた張り上げられた声に、幸村は思わずぎょっとして立ち竦んだ。
含まれていた名前に体が過敏に反応してしまう。
新殿がここにいるのか?
ならば今こそきちんとした謝罪が出来る好機ではないか。
そう思いはしても、急に機会に恵まれてしまうとつい戸惑ってしまう。
一瞬進むべきか悩んだが、聞こえた声の尋常でない様子が気にかかった。
意を決し、向こうに見える人だかり目指して足を進める。
人だかりは、それぞればらばらで動いていた者が声を聞きつけそぞろに集まったもので、人同士の間が広い。
その隙間を縫うようにして、幸村は前へ出た。
「す、すまん…強く打ったつもりはなかったのだが……」
聞こえてきた名の通り、そこには新がおり、息を詰めた苦しそうな表情で蹲っていた。
その傍には気遣うような困ったような表情で跪く、武田の内で見知った男。
男の手と新の傍には、それぞれ鍛錬用の得物があった。
まだ少し残っていた躊躇いの気持ちも忘れ、思わず幸村は新に駆け寄っていた。
「どうなされた、英殿!?」
「…っ幸村殿…?」
呼びかけに反応して持ち上げられた顔が蒼白だ。
幸村は新から視線を外し、幸村の突然の乱入に慌てていたもう一方の男へ状況の説明を求めた。
聞けば、たまたま見かけた新に手合わせを申し込み、この場で打ち合いをしていた。
その時図らずも、男の得物が新の負傷していた箇所へ入ってしまったのだという。
「無茶をする…!傷を負うているなら胴の一つでもつければ良いものを!」
「…そんな物着たら…体が重くなるじゃないか……」
「ワシも薦めたんだが、こう言って聞き入れてはくれなかったのだ」
「だって『いつも通りにやって欲しい』って言うから……」
「自分の身を顧みられよ!怪我が悪化したらどうするのだ!?」
苦しそうにしながらも飄々と受け答える様子に我慢ならずつい声を荒らげてしまい、新の驚いた顔を出くわす事になった。
見開かれた目を向けられて冷静さを取り戻す。
幸村の登場に一回り取り巻きの輪を広くしていた野次馬の面々が、しんと静まり返って三人のやり取りを見ていた。
彼が今ここで蹲る事になっているのは、自分が怪我を負わせた為。
その罪悪感とでもいうべき物が、知らず声を張らせていたのだろう。
少しの間を起き、「すまない」と小さく詫びた。
一喝してしまった事に対してである。
謝るつもりでいたのに、苦しんでいる相手を逆に一喝してしまうとは何たる事か。
感情の赴くままに行動してしまったのは反省すべきだ。
…一喝した内容に関しては、間違っているとは思っていないが。
何とも言えない空気が流れている。
顔を上げられずにいる所に注がれてくる視線が、何となく居心地悪い。
「……いや。幸村殿の言う通り、私には少し自分を軽く見てしまう所があるようだ」
言葉を発しにくい雰囲気を最初に破ったのは、新だった。
声に応じるように顔を上げると、打たれた箇所に手を添えながら立ち上がる所だった。
「幸村殿にそのような顔をさせてしまうのは本意ではない」
「新殿」
「今後は今一度己の身を振り返るよう努力しよう」
膝を付いていた為、新が立ち上がるとまるで彼に傅いているような格好になる。
それを悪戯げに見下ろしてくる新には、つい今し方までの苦しげな様子は見て取れない。
ふと表情を変えにこりと笑いかけてくるのに、束の間目を奪われる。
「忍殿が言う程腕が立つのか?」
意図してのものではなくとも、傷を痛めつけるような真似をしてすまなかったとひたすら謝る男と。
手合わせに怪我は付き物だから気にする事ではないと笑い飛ばす新と。
半ば放心したように新を見続ける幸村の意識を引き戻したのは、どこからか聞こえたそんな声だった。
いち早くそれに反応したのは新だった。
つい、と目でその声の主を探し、そちらへと顔を向ける。
取り巻きの輪の一番内側にいた一人が、どうやらそれらしかった。
「どういう事?」
「あ…いや、正直な話、手負いとはいえ今の動きを見ていたら、噂される程のものだとは思えなかったので…」
「うん」
「忍殿がお館様に英殿を薦める理由、何か他の所にあるのではないかと」
取り巻きからも密やかな話し声が起こり始めた頃で、男の発言もその中の一つであった。
だから、周囲の声に紛れていた自分の発言が聞き留められるとは思っていなかったのだろう。
向けられた視線に戸惑いながら、男が答える。
婉曲な表現ではあるが、「大した腕ではない」と取れるそれに、さすがに新も苦笑を貼り付けるくらいしか出来ないようだった。
幸村は、何故だか憤然たる思いが湧いた。
お前は先日の夜襲での新の働きを知らないのか。
そう言ってやりたくて、勢いよく立ち上がる。
それを片手を差しのべて制したのは、他ならぬ新であった。
ちらりと、何か言いたげに向けられた視線。
その双眸が一瞬、まるで底深い
洞
うろ
のように見えた。
「……佐助は私の腕を買い、確信を持って武田殿に推してくれたんだ。
それを疑ってかかる、あんたのいう他の所にある理由ってのは一体何なんだ?」
洞のような目を向けられた兵は少し狼狽えていた。
狼狽えはしたが、それで新の視線から逃れる事を許された訳ではない。
変わらずに兵を見続けている。
助けを求めるように左右に振られる兵の顔に応える者は誰もいない。
幸村もまた、彼を助けようという意思は湧かなかった。
誰もが黙って事の成り行きを見守っている中。
兵がついに観念し、意を決して口を開いた。
「……佐助殿は、英殿を戦力としてお館様に薦めたのではないのではないか、と……」
「つまり?」
「つ、つまり…英殿は…そのような顔立ちをしておられるので……」
「ああ、話が見えてこないな。はっきり言ってくれないか?」
「……つまりっ!!佐助殿は英殿を、
お館様の小姓として薦めたのではないか、
という事ですっ!!」
少し強めの口調で新に問い詰められた兵の自棄になった叫びが、しんとした中に響き渡った。
その声は残響もなく霧散していったが。
「よくぞ言った……!!」とでも言っているような、謎の団結感をひしひしと感じた。
「…おっお主、新殿をそのような目で見ておったのかっ!!」
いつもなら「破廉恥だ」と叫んでいた所だが、新という客分もいる手前、それだけは何とか喉の奥に押し込めた。
それでも頬に朱が上るのは止められない。
客分に対し何て事を考えておるのだ …… !!
平謝りに謝る兵を前に、幸村は口をぱくぱくとして二の句を継げないでいる。
そうだ、言われた本人は大丈夫だろうか。
新を気遣う一方、兵にぶつけるべき言葉を失った事の逃げ道を探すべく、視線を向けると。
何故か小姓と言われた本人は、さもおかしげに口元を押さえ笑っていた。
「…新殿、何故笑っておられる?」
「……いや、すまない。まさかそんな風に受け取られてるとは思ってもいなかったから……」
声をかければ口元を押さえるのは止めたが、まだ笑みの形は残っている。
今時は大名らが小姓を侍らせる事などさして珍しい事ではない。
だから兵らの発想も、受け入れがたいが分からなくもなかったのだが。
新が潔白であるというのなら、この反応は少々違うような気がした。
まさか本当にお館様と……!?
幸村自身、その発想にぐらりと思考が傾いた時、新が口を開いた。
「なるほど。皆が私に対してどう思っているのかはよく分かった。期待に添えず残念だけど、真実、私は佐助に腕を買われた。
……今の手合わせを見せた後じゃ、説得力はないだろうけどね」
元々訓練とか、実戦じゃない場で動くのは苦手なんだ…と、小さく呟いている。
その言葉や微妙な表情から察するに、申し込まれて行った手合わせは新にとって散々な結果だったのだろう。
だから、と言葉が続く。
小姓の疑惑をかけてきた兵を改めて見据えた新の目には、先程感じた洞のような印象は失せている。
「どうするか迷ってたが、今決めた。私は今後、武田の一員として戦おう。
次の戦場で、佐助の目に狂いは無かった事を証明して見せる。」
宣言が、広場にいた全員の耳に届いた。
まっすぐ伸ばされた腕と指で、小姓呼ばわりを必ず撤回させてやるという決然とした意思表示をしている。
浮かべられた不敵な笑みは、元々の顔の作りと相まって、ある種の凄まじさを感じさせながら、
ひどく、人の目を惹きつけた。
計算が狂ってまたこんな長い話ですいません。
次からはちゃんと計算できてる筈ですから………!!!
それはそれとして。佐助に続きお館様がヒロインの性別に気付きました。
前話佐助がさらっとヒロインを「女」だと確定するような事を言っちゃってたのでした。その場ではお館様流してますけど。
ここに繋げる為の拙い伏線だったって事で文章力のなさを許して下さい。
書き直したらこの話で出てきてた「佐助衆道疑惑(笑)」がなくなってしまった……
次回以降で必ず取り入れてやる……!!(嫌な決意)
戯
2006.3.25 大幅に加筆修正
2006.3.25
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