「昨晩のお客人、素敵な方だったわよ!!」
台所の前を通りかかったちょうどその時に、そんな声が聞こえてきたものだから。
佐助はぎょっとして足を止めた。
鴻飛天翔 こうひてんしょう 第九話
「昨晩の客人」と聞いて思い当たるのは、自分が連れてきたただ一人。
まさかあのごたごたした中で、他に客人が訪れたという事もないだろう。
何だってそんな話題になっているんだ、と混乱にも似た思いを抱きながら。
ほんの少しの好奇心に押されて、気配を絶って台所を覗き込む。
「へえ。どんなお方だったの?」
「まだお若いのだけれど、礼儀はしっかりと身に付いてらして…けれど気さくに話しかけて下さって。
少し線の細い感じで、お笑いになるととても可愛らしいの」
「あの方、佐助様が連れていらしたのよね?」
「そうらしいわ。佐助様にお頼みして、もっとお近づきになれないかしら……」
時刻は、もう朝餉の支度は部屋へ運ばれていても良い頃合い。
恐らくその話を持ち込んだのは、部屋へ二人分の膳を運んで、と顔を合わせた女中だろう。
壁の陰からそれらしき女中の顔を見やれば、その面持ちは夢を見るようで、幾分赤い。
…これは、俗に「一目惚れ」と言われるやつではないだろうか。
そう結論づけると同時に、彼女らの口頭に上がっている己の名前に、嫌な予感を覚える。
自分を介してに近付きたい、と言っている。
このままここにいて、彼女らに気付かれでもしたら、面倒な事になるのは必至だ。
いや 状況としては非常に嬉しいことこの上ないんだけどね ?
女性陣にあれやこれやと質問攻めにされて取り囲まれたりするのは、悪くないのだが。
いかんせん囲まれる目的が自分以外の人間というのが、遠慮したくなる由縁だ。
きゃあきゃあとはしゃぐ女性達に気付かれない内に、佐助は台所を離れる事にした。
彼女らの話に耳を傾けるよりも、まずの部屋へ行くのが先だ。
朝餉を共にしようと、彼女の部屋に自分の分の朝餉を用意させた。
今頃は佐助が訪れるのを待っている事だろう。
予期しなかった衝撃で、踏み出せずにいた足を、何とか前へと進ませる。
頭の中には、先程女中の発した一言が、ひたすらぐるぐると回っていた。
を指した、『素敵な殿方』という言葉。
自分が昨日、の衣を剥いてしまうまで、彼女が「娘」だと知らなかったことを思い出す。
この猿飛佐助の目も欺くほど様になっていたのだから、素人である女中らの目が「殿方」と捉えてしまうのも無理はない。
所作も言動も凛々しい少年のようだし、格好も何故だか男物。
若干声が高く、背が小さいのが気になるが、年若いからと納得してしまえば立派に「男」で通ってしまう。
だから、女中達のこの反応も仕方ない事と思う。
思うが。
「…ええー……?」
に思いを巡らせ、許容量を超えた思考が溜息となって外へ溢れ出る。
一体彼女はどれだけ男前なんだ。
に宛がわれた部屋の前に到着し、声をかける。
入室を許可する旨の返事があったので、襖に手をかけ引いた。
朝餉から立ち上る湯気を前に、手元には部屋にあった本を携えて、は座っていた。
その姿に、つい呆気に取られる。
「佐助遅い。折角朝餉の用意して貰ったのに、冷めたら申し訳ないだろ」
文字に落としていた目を上げ、咎めるように言われる。
声の調子とは違って表情は穏やかだったから、怒っている訳ではないのだろう。
「あー、うん、悪いねぇ。…ていうか、本読めるんだ?」
「ああ、一応な」
「ふーん…ただの浪人じゃないんだね。学もあって強いなら、結構な事で」
「文字を叩き込まれただけさ。内容は…小難しくて頭に入ってこない」
さすがこれだけの屋敷を構える御仁、持ってる本も大層なものだ。
少し眉を寄せて本を手放す様子に、笑いを誘われながら、「西施の顰み」の故事を思い出す。
華奢な体で中性的な顔立ち、礼儀を知り学がある、腕も立つ存在。
見つめられ笑顔を向けられれば、台所にいた女中が一目惚れしてしまうのも分かる気がする。
が男であったなら、応援の一つでもしてやりたい所だった。
「罪作りだねぇ……色男」
「あ?」
箸に手を伸ばしながら、うっかりし損ねた朝の挨拶の代わりに飛ばした軽口。
既に汁椀を口に運びかけていたが、気の抜けた声で聞き返した。
「我らが甲斐の為に、格別の働きがあったと聞く。昨夜はよく眠れたかな、殿」
「ええ、いささか寝足りないようにも思いますが…十分に」
「寝足りないなら十分じゃないでしょうが」
「はっはっは、正直じゃのう」
佐助の的確な突っ込みを受け流しつつ、朝餉前にも女中と似たような会話をしたなぁと思い返す。
は下げていた頭を上げ、やや離れた場所に構える男の声に答えるように目を向けた。
自分に与えられた部屋とは広さが格段に違う、板敷きの部屋。
はその部屋の上座、畳の上に胡座をかく男の正面に座っていた。
この屋敷の主であり、甲斐の国の領主の、武田信玄その人である。
武田信玄の名は耳にした事があったが、目の前に座っている男がその人だというのは、先程佐助から聞かされた。
まさかそんな大物と顔を合わせるとは思っていなかったので、少なからず面食らった。
と信玄と等しく距離を空けた所に、佐助が跪いている。
面会する信玄に危険が及ばないようにという配慮なのだろうが、佐助に格別気負った様子は窺えなかった。
一応は彼の信頼を得られている、という事の証明だろうか。
だとすれば、少し嬉しい。
「聞く所によれば、お主、昨夜我が方に助勢された時、負傷されたとか」
「…はい。しかし大事はありませぬ故、お気遣い下されませぬよう」
「我が国の為働いてくれた者を、心配するなと申すのか?」
は驚いた目で、信玄を見返した。
見開かれた目での眼差しを受けた信玄は、微笑と共に目を細め、小さく頷いた。
「此度の働き、感謝する。」
その一言に、甲斐の虎武田信玄としての人格が集約されているように感じた。
自軍の者だからとか、身分の卑賤に関わらず、武田とその治める国の為働いた者には礼を取る。
人の上に立つ者として、拘りなくそれを実践出来る事がいかに必要で、難しいか。
僅かな時間言葉を交わしただけだが、良き君主だと感じた。
この君主が治める国に生まれた者達は幸いだ。
彼は領民を「人」として見られる目を持っている。
横目でちらりと佐助を盗み見ると、信玄のこの態度を当然の事として受け止めた顔で座っている。
そこに信玄とその家臣の信頼関係の一端を見た思いがして、自然と笑みが浮かんだ。
改めて姿勢を正し、両の拳を床面につけて、頭を下げる。
「有り難きお言葉、嬉しゅうございます」
武田信玄という男の人格に触れた上での、心からの言葉だった。
ただ、信玄への畏敬の念で満ちる胸の奥に凝ったように残る思い。
夜襲の場で相見えた「紅い男」。
話に聞く限り、佐助の上司だという、世に名も高きその男。
私に怪我をさせたのが その男でなければ
紅蓮の勇将、真田源二郎幸村。
戦場で受けた傷が、武田の将であるその男によるものでなければ、より素直に喜べたものを。
そう思い、残念でならないであった。
ヒロイン、女性に恋をされるの巻。
BASARA連載ももう二桁の大台に乗ろうとしているのに、未だに女だって知ってるのは本人と佐助の二人だけですよ。
何このスローペース。どうしたら良いか分からないよおかん(←当てはめる人物は佐助を推奨)
そこはそれとして。
土林氏は家康にのみ「人情派」の称号を与えていますが(?)、BASARA界に於いてはお館様も人情派だと思います。
例え対信長戦での兵の扱いがひどかろうと!!!
お館様との接見編、もう少し続きます。
戯
2006.3.23
2009.1.30 加筆修正
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