「私は女だ!!」


顔を真っ赤にしながらの高らかな宣言を聞いて。
驚きすぎると驚けないってのは本当なんだな、などと。
赤く紅葉の痕が付いた頬を押さえながら、佐助は思った。










   鴻飛天翔 こうひてんしょう  第八話










 布に薬を塗りつけて、折れないように慎重に貼り付ける。
薬が冷たかったらしく、触れた瞬間目の前の背中が僅かに跳ねた。

包帯で薬布を固定して、背中を向けている『彼』改め『彼女』に終わった事を告げる。
『彼女』…はそれに応じ、薬布を固定するように胴に包帯を巻き始めた。

包帯が行き来するその背をじっと見ながら、佐助は頭を掻いた。


「あー……ごめんね?女だなんて思ってなかったから、つい強硬手段に出ました」
「良いよ、別に。さらし巻いてたし。忍ともあろう奴が気付いてなかったってのは意外だったけどな」
「あははー、ほーんと申し訳ない」


の肩越しに切り返される、若干棘のある言い回しに苦笑する。

何故があれ程までに、医師の手当てを嫌がったのか。
真実が飲み込めた今なら、あの反応も理解出来る。
真実を知らなかった少し前の自分は、着物を剥ぐなんて真似をしてしまったのだが。

猿飛佐助ともあろう者の目を騙す程、いかに勇ましい性格であろうと。
あのように大勢の目がある場で、着物をはだけるような事はさすがに出来なかったのだろう。

が、女だから。

佐助が見つめる視線の先、剥き出しの背中は灯りに朱く照らされて、なお滑らかさを際だたせている。
こうして見ればそこに『娘』を見出す事が出来るのに。
忍としての目も持ちつつ、を少年だと思い込んでしまっていた。


着物に袖を通し襟を整えたが、佐助を振り返る。
さらしを巻いていないその胸元は、確かに『娘』である。

灯火の朱い光を湛えた目が、佐助の目から僅かに逸れる。
が見ているのは、佐助の頬。


「強く打ち過ぎた……悪い、力の加減が出来なかった」
「平気平気。これぐらいされておあいこ、じゃね?」


平手打ちを喰らった箇所がじんじんと痺れている。
多分赤くなっているのだろうそこを痛ましげな目で見てくるので、お互い様だと言って笑ってみせた。
それにつられるように、の顔に苦笑が浮かぶ。


「…まぁ、そう言って貰えるなら、こっちも気が楽だ」


悪気は無かったんだ、許せ。
あっさりと言い切るその様子からして、剥かれた事はあまり根に持ってはいないようだ。
根に持たないというより、無頓着と言った方が近い気もするが。

その性格が、少年だと誤認する原因だったのではないか、という考えが、ふと浮かんでは消えた。




手当てを終えて、佐助は辞去する事にした。
明日、改めて信玄が面会を所望していることを伝えると、は二つ返事で快諾した。


「じゃ、ゆっくり休みな」
「ん。お休み佐助」


天井裏へ飛び上がると、下から「おお」と感嘆の声が聞こえた。
その声を置き去りに天井裏を進み、やがて屋根へ出る。

瓦の上に座り込み、


「無防備過ぎでしょうが……はぁ」


深く、やや疲労を滲ませた溜息を吐き出した。
その一息には複雑に入り交じった万感の思いが込められている。

夜、燭台の灯りのみの部屋で、男と女二人きり。
かたや、上衣をはだけて素肌を晒している。
そんな状況から想像できる事など幾らもない。

なのに「かたや」の当人であるは、まるで気に掛けていないようだった。

流石に身包み剥がれた直後には平手打ちを繰り出して来たが。
「私は女だ」と高らかに言う位なら、その後少しぐらいは恥じらう素振りの一つでも見せて欲しかった。
恥じらいの代わりに見せてくれたのは、潔い脱ぎっぷり。

を「無頓着」の評価はそこに由来する。
すっぱりと意識を切り替えられてしまったせいで、自分の方が反応に困ってしまった。

気疲れから来る盛大な溜息を一つ。


こうして長い一日は終わりを告げた。















      これは世の理そのものでしょう?

      それが楽しいという感情なのです




 鳥の羽撃はばたきが聞こえて、水の底から浮上するように、の意識は覚醒した。

瞼の向こうから光りが差し込んできて、視界が赤く染まっている。
朝だ。

目を開け、障子越しだと言うのに案外強い陽光に眉を顰める。
何回か瞬きをして、ふと自分の置かれている状況を思い出した。
ここは佐助の主が仕えている人の屋敷で、自分はそこで休む為に一室借りたのだと。

身を起こした途端、激しい痛みが走り、眩しさとは違う意味で眉を顰めた。


「っ……一晩じゃ大して変わらないか…いたた」


ひびが入った肋骨の事をすっかり忘れていた。
手当てをしたその箇所に負担がかからぬよう注意しながら、は身を起こす。
布団の上に座り込み、寝間着の腰紐を解く。
合わせ目をはだけると、潰していない胸元と、固定する為に腹にかけて巻かれた包帯が目に入る。

昨夜の…といっても数時間前の事だが、佐助にしてしまった仕打ちを思い出して、何となく気分が沈んだ。

いくら動揺したからといって、平手打ちを食らわす事も無かっただろうに。
この件に関しては水に流してしまう事にしたので、これ以上深く掘り下げて考えようとは思わなかったが。
今日佐助に会ったら、もう一度くらい謝っておこうと心に決め、は着替え始める。

寝間着を脱ぎ捨てさらしを巻くと、ようやく身が引き締まって体が目を覚ましたように感じた。
寝起きで緩慢だった体の動きが、徐々に滑らかさを増すのに乗じて、袴に足を通す。


「失礼致します」


袴の紐を締めようとした所で、襖の向こうから声がかけられた。
一旦結ぶ手を止めてそちらを見やり、声の主に入室の許可を告げる。

一拍の間の後、膳を脇に置いた女性が顔を出した。


「お早う御座います、様。朝餉の支度が出来ておりますが、お召し上がりになりますか?」
「あぁ、有り難い!頂きます」


朝餉、と聞いて、反射的に答えた声が思いの外弾んでいて、しまった、と口を塞ぐ。
どうやら自覚している以上に、体の方は空腹らしい。

こちらのそんな一挙一動に、現れた女性はくすりと笑いをこぼし、朝餉の膳を室内へと運び込んだ。
何も言われない事への安堵といたたまれなさとを覚えながら、結びかけの紐をきちんと締めた。
気まずさを感じる自分は腹の奥底へと飲み込んでおく。


「よくお休みになりましたか?」
「あぁ、とてもね。……若干寝足りない感はあるけれど」
「まぁ……ふふ。聞けば昨夜の戦いで、様もたいそうご活躍なされたそうではありませんか」
「そんな大した事はしていないよ」


苦笑しながら膳へと近付いた所で、は、用意された膳が一つ多いことに気付いた。
誰か他に来るのか訊くと、佐助がとの朝餉を所望したと返される。

腑に落ちたようで、しかし首を傾げた。
旅の途中なら分かるが、本拠に戻ってきてからもわざわざ共に食事を取らなくても良いではないか。
佐助の意図がどこにあるのか、分からなかった。


そうこうしている内に、朝餉の支度が整う。


「それでは私はこれで……」
「ありがとう、ご苦労様」


膳の用意をし終わって下がろうとする女性へ、感謝の念を込めて笑顔で礼を言う。
その言葉に反応して、伏せられていた女性の顔が上がり、目が合った。


……途端に、女性の目が見開かれる。


愕然、という表現が一番近い気がするが、微妙に違う気もする表情だ。
それにたじろいでいる間に、女性は慌ただしく立ち上がって、襖の向こうに小走りで駆けていく。

敷居を越えた女性は、そこでくるりと振り返り、おもむろに三つ指を突いた。


「ご、御用向きの際はこの千代めにいつでも声をお掛け下さいませ!!」
「あ……う、うん、ありがとう」


女性の剣幕に圧倒されてながらも、何とか笑顔を返す。
のその顔を見た女性の頬に、一瞬朱が差したように見えたが。
すぐに襖が閉められてしまったので、それを確認する術は失われた。


「……何かおかしな事したか?」


黙って見送るしかなかったは、呆然と己の行動を振り返ってみる。
結果、特にどこもおかしいと思えるような所はなくて、尚のこと頭を悩ませる事になった。




それから佐助が現れるまでの間、は一人黙々と考えを巡らせ続けたのだった。




















ヒロインは覚悟が決まれば男性にだって堂々と肌を見せます。
不意打ちだったり不慮の事故だったりするとうろたえるんです。
我が布陣が崩された時の森の妖精さんみたいですねっっ!!(ぇ

目覚める時に聞いた音は鳥の羽ばたきです。
その前の言葉は夢で、ヒロインの過去と大いに関係しています。
予想して当たっても何も出ません(えー)



2006.3.21
2009.1.30 加筆修正
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