鴻飛天翔 こうひてんしょう  第七話










 任務を全うし、顔を出した詰め所で聞こえてきた声に、とりあえず耳を傾けてみる。


「ひび程度なら放っておいても治る」
「放っておいていいもんじゃないだろう、相当痛むぞ」
「要らないものは要らない。」


「どうしても手当は要らないといって聞かないんですよ」


佐助と同じように聞き耳を立てていた傍の医師が、苦笑しながらそう教えてくれた。
随分と長い事、二人が押し問答を続けているらしいと彼の表情からよく分かる。

負傷して、医師の前に座りながら、医師の手当てを拒否するとは。
手当てを場所に連れてきたのに我を張られてしまっては、何の為にここまで連れてきたのか分からないではないか。

強襲は小競り合いのようなものであった為、戦いの規模は小さかったが、それでも怪我人は生じる。
手当てに回る者が多いに越した事はない今の状況下で、ただ一人の強情に医師の手が一つ塞がってしまうのは痛い。
ついでに言うと、の相手をしている医師は、先程佐助がの事を頼んでいった医師その人だ。
怪我人に対し医師としての義務を果たそうにも出来ずにいる彼に謝りたくなる。

佐助は苦笑しながら、言い合っている二人へ歩み寄った。
聞こえてくる声からひびが入ったらしいと分かったが、それ程心配する必要も無いだろう。
これだけ大きな声で言い合えているのだから。

あくまでも手当てを固辞し続けるのすぐ後ろに立ち、声を掛ける。


「素直に手当てして貰ったらどうよ?」
「……佐助?」


頭上から降ってきた声で初めて佐助の接近に気付いたが、驚いた目で振り仰ぐ。
その目に映る佐助も、少しだけ驚いていた。
長期間行動を共にしていながら今日初めて教えた自分の名前が、彼の口から発せられたからだ。

耳慣れない声で呼ばれた「佐助」の名。
気にする程もない程度。
それが佐助の胸の内に、記憶に、不思議と鮮やかに刻みつけられる。


医師との駆け引きに集中していたは、周囲の奇異の目に気付いていなかったのだろう。
佐助を見上げた事で久し振りに外界との繋がりを得て初めて気付き、また驚いている。
次いで、居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
医師の手当てを拒む為に熱くなっていた自分を省みたのか、小さな声で「すまない」と言ってから、


「それでも、要らないものは要らないんだ」


大丈夫だから、と尚も手当てを拒否する言葉を続ける。
本人にしてみれば、十分に自分の大人げなさを反省した上で、それでも曲げられない一事を主張したつもりなのだろうが。
頑なに「要らない」と言い続けそっぽを向く仕草は、大人の反省というよりも寧ろ子供の駄々だ。

佐助は子供を諭す時のような心地で、視線を合わせようとしないの前に回り込み、顔を覗き込む。


「何で要らないの?」
「必要ないから」
「頑固者ー」
「何とでも言え」


何故こうまで拒むのか知らないが、「要らない」と主張する以外では、口を固く閉ざして理由は言わない。
この様子では、誰が何と言おうと聞き入れる気は無さそうだ。
つまり、が我を張る分だけこの医師もそれに付き合わされるという事であり。
未だ負傷者が残っている現段階では、ありがたくない事でもある。


      全く


「しょうがないから、に薬布だけ出しといたげてよ。あんたは他の人を診てやって」
「佐助殿、しかし……」
「この頑固者は俺が引き受けとくからさ。なーに、手当てならお手の物だって」


自分が蒔いた種は自分が引き受けるから、医師としての仕事をしてきて欲しい。
笑ってそう促すと、最初こそ渋っていたものの、結局は他の怪我人の手当てが先だという事で医師が折れた。
忍なら怪我の処置にも通じているだろうと判断したのかも知れない。
それでも一応は簡単な説明をしながら、医師は慣れた手つきで薬と薬布を揃えていく。

説明に時折頷き返しながら、薬が処方されるまでの間、佐助はの方を盗み見た。
憮然とした表情は相変わらずだが、少しだけ強張りが解けているような気がする。
眼差しは医師の方に注がれており、佐助が自分を見ている事に気付く様子はまるでない。

視線をから医師へ戻すと、丁度揃え終わった薬が差し出される時だった。


やはりまだの手当てに不安要素があるのか、くれぐれも怪我を放置しないように、と念を押してくる。
それに了解した事を返した所で、医師はようやくの傍から離れていった。


「……責任感の強い人だな」
「いやぁ…責任感云々より、医師相手に治療拒む方も拒む方だと思うけど?」


疲弊したように溜息を吐き、去った医師の背を目で追うを揶揄すれば。

やや困ったようになって、要らないものは要らない、という主張が、先程よりも覇気なく返ってきた。















 勝手知ったる足取りで先を行く佐助の後を、が黙々とついて行く。
先導する目的は、武田の屋敷に用意した客間へ案内する為だ。

廊下を歩く二人の間に会話はない。
ただ黙々と、廊下を擦る足音のみが耳に付く。


      どうしたもんかねぇ


の気配を背後に意識しながら、佐助は内心ぼやいた。
ちらりと顔を窺っても、そこからは何の表情も読み取れない。
感情を顔に出しやすい人間の無表情こそ心配になるものだ。

医師の手当てをあれ程までに嫌がっていた。
嫌がるからには相応の理由があるのだろうが、その場から切り抜けた後の「今」の彼の機嫌の程が分からない。
機嫌が良いのか悪いのか、感情の傾きによって、かける言葉が変わってくる。

結局、かける言葉を探しあぐねている内に、与えられた部屋へ到着してしまった。


「はーい到着。今晩のお宿はこちらになりまーす」


やむなく、彼の胸の内を推し量るのはひとまず横へ押しやっておいて、軽い調子で入室を促した。




「うちの大将が、明日改めて話がしたいって言ってたから、今日の所はここで休んで頂戴」
「ああ、ありがとう。部屋を用意してくれるなんて……何だか悪いな」


に続いて入室し、後ろ手に障子を閉めながら声を掛けた佐助は、案外普通に返ってきた返事に呆気に取られた。
声の調子から推し量る限り、不機嫌だという事は無さそうだ。
部屋の全貌を見渡して振り返った表情を見ても、そんな気配はない。

何だ、と、気に掛けていた自分が馬鹿らしく思えて、小さく笑うと共に一つ息を吐いた。


「本当ならすぐにでも礼を言いにいくべき所だろうけど…夜中じゃさすがに迷惑だよな」
「いや、迷惑なんて事はないと思うよ」


部屋を用意してくれた信玄に感謝しているへ、すかさず訂正を入れる。
先程、真夜中にも関わらず拳で語り合った位である。
だからこの時分に礼を言いに行った所で気にする事はないだろう。
一般的な考え方としてのの判断は正しい訳だから、今から行けとは言わないが。

どうして迷惑ではないのかと尋ねてくる目には、曖昧に笑って言葉を濁す。
「時間帯を気にせず殴り合うような人だから」と説明した所で、まさか素直に納得はしないだろう。
あれは実際に目にしてみないと納得出来かねるものだ。
今の時分からまた殴り合われるのは流石に遠慮したい。

そんなの疑問よりも先に。
やらなければならない事も、ある。


「ま、そんな事よりも、だ。」
「何だ?」
「ちゃちゃっと上着、脱いじゃってくれない?」
「……は?」
「手当するの、手当。医師にも俺が何とかしとくって言っちゃったし?」


の手当、それが疑問よりも優先される事。

佐助が口にした途端、至って普通だったの顔色が面白い程急激に変わっていく。

薬を受け取る事で落着した問題が、まさかこんな形でぶり返すとは思っていなかったに違いない。
佐助の申し出に警戒して逃げ腰になったとの距離を縮めようと、足を踏み出す。
同じ歩数分、後退された。

一歩。
また一歩。

専門家である医師の手当ても拒んだのだから、この反応も予想の内と言えなくもないのだが。
障子の傍から部屋の中程まで、この緩やかな追い駆けっこが続いてしまうと、いい加減にしろと思う。
流石に痺れを切らして、大股で足早にへ近付いた。
背丈の関係で歩幅は佐助の方が勝っている。

の小柄な体は瞬く間に壁際に追い詰められた。


「い、要らないって言っただろ!!」


易々と見下ろせる顔には焦りの色が浮かんでいる。
何をそんなに嫌がるのだか。
首を傾げたくもなり、同時に少しからかってみたくもなる。

佐助を遠ざけて包囲網から逃げ出そうと突き出されるの腕をすり抜けて。
難なく、白い着物の襟元に手を掛ける。


「はい、観念しなさーい」
「ちょっと、待て……!!」


問答無用。
言葉と行動の抵抗も受け流し、佐助は易々と着物の合わせ目を剥いた。
表現の難しい、呻き声のような叫び声のようなものが聞こえたが、それも無視する。
そして、露わになった着物の内側に目を移して。




佐助は固まった。




さらしが巻かれた肌。
その胸元が、筋肉とはまた違う、妙な感じに張っている。

押し潰されたように。

何故、胸がその形になるのか。


思考が止まりかけた頭で、その理由を考えて。
思いついて、唖然とする。


「………女?」


呟いた直後、佐助は力強い平手打ちを食らった。















今度は佐助がヒロインにセクハラです。過失ですが。
平手打ちっつーと何か女々しい感じがしたんですが、流石にグーパンチはしないだろうな……と考えた末の妥協点です。
あくまでヒロインですよ。平手打ちが妥協点なんておかしいですよ戯さん。
その前に女の子に「女々しい」なんて言葉は普通使いません。

格好良く着物が着てみたい。
以前袴はいた時に友人に武家(だか公家だか)みたいだと言われたがそれは範疇外。



2006.3.18
2009.1.30 加筆修正
戻ル×目録ヘ×進ム