鴻飛天翔 こうひてんしょう 第十四話
信玄の部屋を出て、自室に行こうと庭を歩く途中、茫洋と空を眺めるを見つけた。
いつもの如く声をかけようとして、不意に固まる。
先程の信玄の言葉が思い出されたからだ。
信玄が言う所の「思う所」はあるのだ。
それこそ、恐らくは出会った時から。
を男だと思っていた内は、それは勘違いだと自分に言い聞かせ続けて来たが、最早そうする必要もない。
ただ、態度をいきなり変えるのには抵抗があり、今日まではいつもと変わらぬよう接してきた。
女と知った翌晩の薬布貼りの時は相当苦労したものだ。
その態度を、信玄の言葉が後押ししたのもあり、ほんの少しだけ変えてみようと思った。
あまりそれと知れない程度に、だ。
気配を消して縁側に上がる。
足音に気をつけてするするとの背後に回ると、彼女の独り言が聞こえた。
「私は……どう思ってるんだ……?」
そしてそのまま、
「何をどう思ってるって?」
覆い被さるようにして抱き竦めながら、驚かすようにその耳に言葉を吹き込んだ。
腕の中でびくりとの身が硬直する。
華奢な体だとは思っていたが、こうして腕の中に収めてみるとその小ささが尚のこと良く分かる。
知らず腕に込める力が強くなる。
何かに集中していて佐助の接近に気が付かなかったのだろう。
身に降りかかった出来事に長い事硬直していたが、ようやくぎこちなく振り返った。
「……………佐助?」
「ただいま、」
振り返ったの目が佐助の姿を見つける。
姿を見つけてからも体から力が抜けきらない様子をみると、相当驚かせてしまったようだ。
怒りの言葉の一つも覚悟して、が口を開くのを待つ。
だが、返された物は怒りでも何でもなく。
じっと見つめてくる眼差しと、痛い程の沈黙。
予想した物が返ってきていたなら笑いながら腕を解いたのに、何の反応もないと解放する時機が見定められない。
「…………さーん?」
頼むから、何でも良いから反応を示してくれと、食い入るように見てくるに声をかける。
引きつったような笑いを浮かべながら、きょとんとした目の前でひらひらと手を振る。
それが功を奏したのか、の表情が夢から覚めた時のようにはっと目を見開いた。
そして改めて、意外に至近距離にいた佐助を黒の瞳が確認し。
俄に、滑らかな白い頬に朱が散ったのだった。
「………さっ、さ佐助っ!?」
「お、ようやく戻ってきたね」
が我に返って得られた予想外の好反応に、佐助は思わず笑みを浮かべる。
初めて会った時も、陽動の参加を頼んだ時も、更にはあろう事か襟元を剥かれた時でさえ、ここまで顕著に動揺を表したことはない。
顔が近くにあったことか、背後から抱き込まれていることか、そこまで動揺する理由が何処にあるのかは分からないが。
白皙の顔は今や耳まで真っ赤で、言いたい事があるのに言葉にならないのか口をぱくぱくとさせている。
所在なげに手を宙に泳がせているのは、動揺によるものと対処に窮した為のものだろう。
そのらしくない様子が………妙に可愛らしく感じた。
目つきも態度も言動も、とてもではないが可愛いと受け取れる要素など何処にもない。
なのに、ただ顔を真っ赤にさせただけで、俄にそれが意識されるのだ。
彼女が、確かに娘であるということが。
堪らず腕の中にしっかりと収めるように強く抱きしめ、その肩口に顔を埋める。
途端から言葉にするのも難しい叫びというか呻きが聞こえたが、その程度で放す気にはなれない。
「ちょっ………佐助!お、重いから!重いからどいて!!」
「んー……少しだけ、任務から帰ってきたばっかの俺を労ってよ」
「こんなんで労いなんかにならないってっ!!」
「俺の事放っといていいから」
「佐助っ!!」
人の話聞いてるのか!?と、これまた動揺が前面に押し出された声音が佐助の耳を打つ。
だが、もとより聞く気などないので、そんな言葉は佐助にはさして意味がなかった。
肩口から布越しに伝わってくる微かな体温。
それが存外心地よく、冗談ではなく本当に任務の疲れを癒すようだ。
忍として務めてきた短からぬ年月の中で、女性と直接肌を合わせた事は何度もある。
けれどこの時程満たされたように思った事はなかった。
ほんの少し、行動を起こすだけに止めようと思っていた心が、この勢いのまま自覚した想いを伝えてしまおうかという方に傾き始める。
それ程までに、の傍は居心地が良かった。
目を閉じ、思いの丈を口にしようとした、
その時である。
「佐助様……何をなさっているのです…………?」
高めでありながらも地の底から這って来るようなおどろおどろしい声が、やや離れた所から発された。
その異様さに何事かと顔を上げると、女性が一人佇んでこちらを見下ろしている。
確か最近とよく一緒にいる、屋敷の給仕をしている女。
そこで急に佐助は以前聞いた声を思い出していた。
の事を、素敵な殿方と曰った女声。
あの時の声と今の声とが符合する。
これは ひょっとして
脳裏を過ぎった、ある一つの予想に顔を引きつらせつつ、女の様子を窺う。
佐助が女……千代に顔を向けた時点で、は己を拘束していた腕から脱出し走り去っている。
つまり、この淀みながらも激しいものを内に秘めた眼差しを向けられているのは、自分だという事。
彼女にとって敵である、自分に。
「様は否定なさっていたけれど……少なくとも佐助様の方は、様を慕っておいでなのですね……」
一言放つ毎に俯いて表情が見えなくなっていくものだから怖い。
今の彼女なら何でもやってのけそうな気がした。
こうなった時の女性は怖い……とつくづくその身で実感しながら、佐助は千代を何とか宥めようとする。
どんな選択肢を選んだとしても、爆発する前に宥められるとは到底思えなかったが。
そして、その考えはやはり当たっていた。
「お二人の気持ちを知って、覚悟がつきました。恋敵が男の方でも構いません、きっと様を、千代が佐助様の手からお救いしてみせますわっ!」
言い切った………!!
高らかに啖呵を切る千代に寧ろ感心する。
予想通りでありながら、千代にそのような宣言をさせてしまった事を、佐助は申し訳なく思った。
佐助を恋敵と認識した上でのその発言は間違っていないが、根本の所で歪みが生じている。
その歪みを教え正したら、千代にどれだけの衝撃を与え恥ずかしい思いをさせることか。
息巻く千代にいたたまれない思いを抱きながらも、意を決する。
その後どんな苦労が待っているかも分かった上で、佐助は千代に歪みを教えた。
は、男ではなく女だ、と。
恋する女性に事実を告げ、その衝撃から立ち直らせ。
告げた事が嘘ではないことを証明する為に幾つもの証拠を並べ立て、何とか納得して貰うまでに、佐助はおよそ二時間を要した。
何が楽しかったって、オリキャラ千代の恋のライバル宣言ですよ。
ヒロインを巡り巻き起こるちょっと歪んだ三角関係。
……楽しい。(誰か病院へ連れてって)
佐助は忍の修行で色んな事を学んでいる筈ですよ………(遠い目)
十四話にしてようやく頬染め……女の子らしくないヒロインですいません。
こういうのが好きなんです。
戯
2006.3.28
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