町の一角。
小間物屋の店先。
目の端にきらりと光る物を捉えて、は足を止めた。
鴻飛天翔 こうひてんしょう 第十七話
活気に溢れた町並みに、ゆっくりと、だが忙しなく、は視線を巡らせる。
道行く人の目を惹かんと店頭に並べられた様々な品物は、実際に目と興味を惹かれ、買わずとも見ているだけで楽しい。
こうして純粋に町を見て歩くのは、佐助と出会った地から武田領までの帰還から数えれば実に一ヶ月半振りだ。
武田領までの道程で立ち寄った町でも、最低限必要な物を買う為の見物や、或いはそれすらもせず真っ直ぐ旅籠へ直行。
目的もなく町をぶらぶらとするのは果たしていつ以来かなど、記憶を探るのも難しい。
「目的地までの途中に立ち寄った町」ではなく「目的地とした町」。
改めて見れば、戦国の世の中にあって、町は不思議な程穏やかだった。
隣を歩く佐助も、いざという時の為暗器の一つ位隠し持っているのだろうが、格好は着流し。
戦に関係のない状況でこうして共に歩いている事が、にはどことなく嬉しかった。
その時、視界に何かきらりと光る物が映り込んだ。
反射的にそちらを振り向いて足を止める。
そこにあったのは、細かな装飾が施された簪。
店頭に並べられていたその簪の飾りの一部が日の光を反射して、それが目に留まったらしい。
「どうした?」
「……ん、ちょっと」
立ち止まったに気付いて近寄ってくる佐助を意識の端で確認しつつ、その簪を手に取る。
間近で見れば見る程引き込まれるようだった。
装飾は細かいが華美ではなく、しゃらしゃらと音を立てて飾りが揺れる様は落ち着いた意匠を強調している。
綺麗だと、あまり小間物に興味のない自分でさえ素直にそう思う。
何を見ているのかと横に並んだ佐助が、その手に簪が握られているのを見て、へぇと小さく簡単の声を上げた。
「が簪手に取るとはね……。綺麗じゃん。それ気に入ったの?」
「うん。ちょっと目に留まっただけだったけど、意外とね」
「……似合うんじゃないか?」
「そう思う?」
心底意外だと言いたげな自分の言葉に、また暗い目で睨まれるかと思ったが、案外に素直な反応が返ってくる。
その反応自体を意外に思いながらも、一方でが小間物に興味を持っていることが喜ばしくも感じられた。
「じゃあ、千代さんに買っていってあげようかな」
「……………………は?」
良い兆候だと思った直後に放たれた言葉に、佐助が固まった。
急に動かなくなる佐助。
どうしたのか、そう思って視線をやれば、すぐ傍にひどく驚いた佐助の顔。
「……………何でそこで千代が出てくる訳?」
「え?だって千代さんに似合いそうだろ?佐助も言ったじゃん」
「……あー………そういう意味で取られたか………」
「何言ってんだ?……まぁだからさ、日頃世話になってる感謝も込めて………」
「それは止めとけ………傷を抉ることになるから」
どこか遠くに視線を投げながら達観したように呟く佐助の真意が掴めず、は小首を傾げる。
前日、佐助による千代への大説得劇が繰り広げられたことをは知らない。
千代が自分を男だと思い込んで慕っていたことにも気付いておらず、だから彼女が佐助の説得でどれだけ傷心したかも知る所ではない。
はただただ、佐助が何を思ってそんなことを言うのか考え、結局分からず頭を悩ませるのみである。
「分かった……そこまで言うんなら、千代さんには茶菓子でも買って帰るよ」
妥協したように言えば、大いに賛成だとでも言いたげに佐助が深く頷く。
大げさすぎる反応に思わず苦笑しつつ、は再び簪に目を戻す。
「にしても、本当に綺麗だな、これ」
今まで簪を気に留めたことなど一度としてないのに、何故この一本にはこんなにも惹かれるのだろう。
目を細めて眺めながら、は考える。
思ってみれば自分は昨日から少し変だった。
身なりを整えていればそれで十分だったのに、急に自分を飾ることが気になりだして。
髪型を少し変えてみただけで全く違う自分が現れたようで、ひどく慌てた。
そもそも髪型を変えてみようなどと思ったきっかけは、佐助に対する己の感情について考え始めたからで………
そこまで思考が及ぶのと、佐助の手がから簪を奪うのはほぼ同時だった。
思考に没入していた所から我に返り、佐助の手に移った簪の行方を目で追う。
何をするのかと佐助を見上げて視線で問えば、いつもの笑みを向けられ、
「ちょっと待ってて」
そう言い置いて、簪を持ったまま店の中へ入っていってしまう。
その場に一人残されたは、もう少し簪を見ていたかったのに、と内心で不満を漏らす。
かと言ってたかがそれだけの為に後を追うのも気が引けたので、釈然としないながらも仕方なく、ひとまずは言われた通り待つ事にした。
店の外壁に背を預け、行き交う人々の様子を眺める。
今は戦国の世。
平和そのもののような雰囲気を纏って生活している彼らも、深層心理では常に戦火に怯えている筈である。
己の住むこの町が、いつ戦に巻き込まれるかと。
その時がいつ来るかなど分からないから、現在周囲を取り巻く束の間の平安を甘受するのだ。
一時の夢を見るように、仮初めの安らぎを求めて。
それも 良いかもしれない
は目を閉じ、微かに笑いながら思う。
戦場を巡る内に必然と目にしてきた、戦火に巻き込まれ倦み疲れた表情の人々が、かつてそうしていたように。
戦火に怯えながらも、この町の人々がそうしているように。
自分も、一時だけでも戦場を忘れ、佐助と共にこうして過ごすのも、悪くはないと。
そこまで考えて、はつい苦笑する。
「悪くない」と思う事に、ごく自然に「佐助と共に」という前提がついたことが妙に可笑しかったのだ。
「あーぁ…………焼きが回ったか」
どうしようもない、と言いたげな口ぶり。
しかしその声音はひどく穏やかだ。
自身曰く「焼きの回った」考えが、面映ゆくはあれども決して不快では無かったからだ。
閉じていた目を開く。
相変わらず夢幻のような、しかし確かな平安がそこにあった。
影の如き黒い物が、その目に映る。
道の向こう側にある建物の屋根の上。
はその存在に気付いて硬直し。
更にそれが何なのかを認識して、怖気が走った。
よく晴れ渡った碧空に、染みのように一点だけそこにあるのは、艶やかな濡れ羽色の一羽の鴉。
が凝然として立ち尽くし、驚愕したように向け続ける目を、鴉はじっと見返している。
餌を求めるでもなく、ただじっと動かずそこにいる。
町の様子に変わりはない。
けれどは、己を取り巻く空気が一気に冷たくなったように感じた。
がらがらとしているのに、ひどくよく伸びる鳴き声が一つ発される。
それにがびくりと肩を震わせる間に、鴉は羽を広げ、飛んだ。
かと思えば、少し離れた所ですぐに降り立ち、また先程と同じようにを見つめてくる。
鴉の一連の動きを瞬きもせず見つめていたが、おもむろに壁から背を離す。
人の波を避けながら、離れた鴉に近寄れば、鴉はまた同じように飛んで同じように降り立つ。
そして同じように眼差しを寄越す鴉に、はある一つの意思を見出していた。
「ついて来いってのか…………?」
呆然として呟きながらが距離を縮めると、やはり少し飛んで離れる。
再び繰り返されたその動きで、確信した。
きゅっと唇を引き結び、鴉を追う。
進みたくないよいう思いが一瞬過ぎるも、敢えて逆らって足を踏み出した。
ただしそこに自身の意志はない。
意志を飲み込む大きな物が、その足を進ませていた。
しばらくついて行く内に、ある時、屋根の上を飛んでいた鴉が不意に高度を下げた。
茶店の辺りである。
鴉は外に設けられた席に腰掛ける一人の客の肩に留まった。
背格好から見て男だろう客は鴉に目をやり、その流れでを見つける。
男はを見ると「おや」という表情を一旦見せ…………笑った。
口の両端を吊り上げ、目を細め。
その一瞬で、は思考の一切を封じられた。
引きずるような、という表現通りの足の運びで男に近付き、五歩ほど距離を取った辺りで静止する。
男の手が鴉を撫でるのを視界の端に留め、頭を下げた。
「お久しぶりです……………………………………光秀様」
男…………光秀は、を見たままただ妖しく笑っていた。
ヒロインと佐助、町にお出掛け篇。逢瀬ですか。
漢前なヒロインが徐々に乙女心を開花させてますがどうなんでしょうこれ。
とりあえず「誰に」が抜けると、話が食い違ったまま進んでしまうという話。(違
ようやく明智ラヴァー戯をアピール出来ました。(そうか?)
武田軍勢以外のキャラが出てくるのは、この連載夢では後にも先にも明智ただ一人です。
ものっそい端役ですが。
戯
2006.4.7
戻ル×目録へ×進ム