眼前に掲げれば、障子を通して和らいだ陽光を受けて煌めく。
その様に思わず見とれていると、佐助が呼ぶ声がした。
すぐ行くと答え、手にしていた物を鏡台の前に置いて立ち上がる。
刀だけを腰に差し出て行こうとした所で立ち止まり、少し考えてから鏡台の前に戻った。
一旦はそこに置いた物を再び手に取り、懐に収める。
直接戦には関係ないが、多大なる心の支えとなるだろう物。
は簪の存在を胸元に感じながら、部屋を後にした。
鴻飛天翔 こうひてんしょう 第二十話
武田軍と相対する軍に、鴻飛幽冥が現れたとの方が入ったのは、戦の幕を切って間もなくの事だった。
「すごいでござる、殿………!!うぉぉぉ拙者も出遅れる訳には行かぬぅああ!!」
以前訓練場でその姿を見た時とは別物の如き滑らかさで刀を振るう鳥の姿に、思わず感嘆の声を上げた。
戦場を飛び交う白い鳥に負けじと、六文銭を背負う武将も烈声をあげ敵軍に駆け込む。
炎を纏い、二槍を自在に振り勇壮に戦う姿を、鳥がちらりと見やる。
次々と敵を撃破するのを見て、鳥は笑い、自らも刀筋の鋭さを増しに増した。
「よもやこれ程の腕前とは……見事なり、!!」
虎も、予想し得なかった鳥の働きに快哉の声を上げる。
彼女が『鴻飛幽冥』だと気付いたのは、戦い振りを初めて目にしたつい先程のことである。
相手軍は鴻飛幽冥の出現に多少なりと衝撃が走っていることだろう。
その白い鳥が自らの部下であるという事実に、虎は打ち震えるような喜びすら感じた。
ふと、鳥の目があるものを捉えた。
敵との剣戟で刀を弾き飛ばされ、今にも致命の一刀を当てられんとする武田軍の足軽がいた。
それに気付き、素早く目の前の敵を斬り屠ってから、そちらに向け走り寄せる。
完全に敵の姿を射程に収めた瞬間、鳥が烈声を上げた。
その声に、敵軍兵士が振り向き、刀を構え走り込んでくる鳥に、慌てて刀の目標を変更するも。
僅かな怯みは鳥にとって最大の好機であり、敵は身構える間もなく急所を突かれて絶命した。
即死である。
噴き出す血も僅かで、刀を抜く際に器用に血を避けながら、鳥はへたり込んでいる足軽を見下ろした。
「私のどこがあんたより劣ってるのか………後でゆっくりと教えて貰おうか」
刀を取り落とし呆然と鳥を見上げる足軽は、以前訓練場にて鳥のことを己よりも弱いと曰った者だった。
戦場にてその認識を改めさせると誓ったものが、今まさに叶った事を鳥はしっかりと感じた。
満足の笑みを浮かべながら、鳥は次の敵へと向かっていった。
楽しい。
走り抜け様相手の頸動脈へ刀の切っ先を走らせ、頽れる音を背後に聞きながら、はそう感じた。
斬る時に腕に伝わる感触も。
血が噴き出す光景も。
命無き肉塊に変わり果て頽れる音も。
戦場で起こる全ての事象が、言い得ぬ程神経を昂ぶらせる。
腕が震える程に。
目が霞む程に。
激しく打つ鼓動の音を耳元で聞きながら、笑う。
「あぁ……楽しい………!!!」
強張った顔の筋肉を引き上げ、笑みのまま相手を睨み据える。
敵の顔に怯臆の色が浮かんだ。
血が染みこんだ地面を蹴り、は再び現れる敵軍の真っ直中に飛び込んでゆく。
視界の端を過ぎった白い物体に気を留め、敵を斬り伏せた佐助は一旦手を止めてそちらを見た。
両翼を広げ滑空する、戦場に舞う白い鳥。
一体幾人その刀で屠ってきたのか、刀身は真っ赤なのに、翼は元の白さを失わずにいる。
袴の濃藍と刀の房の唐紅は、さながら羽に切られ尾を引く風だ。
「上手いこと避けるよなぁ……あれ」
呟いた言葉は、噴き出した血が己に届くよりも早く身を翻すことを言っていた。
刀を振るうは速いが、振るった後の方が更に速い。
その為、戦の開始を告げる法螺が鳴ってからおよそ一刻、未だにの着物は白いまま。
ただ、佐助はそればかりを気にしてを見たわけではなかった。
身を返した時に垣間見えた、の表情。
笑っていたのだ。
動きについて来られない敵を斬って、それは綺麗に。
けれど。
「この間から何だってんだ………」
佐助はの表情に、出兵前日に武田の屋敷で感じたものとよく似た強い疑問を抱いていた。
敵が薙いできた刀を限界まで身を落として躱す。
頭上を刃が通り過ぎたのに合わせて身を捩れば、の刀が深く敵の脇腹を抉った。
絶叫と共に降り注ぐ血雨は、しかし素速い反応と軽い身のこなしで避けた体にはかからない。
回避して体勢を立て直したは、やはり笑っていた。
佐助が感じた、正体の分からない疑問を抱かせる何かを宿して。
段々と離れていくの姿を暫く目で追う。
足軽達が影になってその姿が見えなくなると、ようやく佐助は武器を構え直した。
今は合戦時、よりもまずは眼前の敵だ。
思考を切り替え、敵の集団の只中に突っ込む。
斬り伏せ、躱し、幾つもの命を奪い、その身を赤く染め。
しかし頭からのことが離れることはなく。
やがて遠くの方で、この日の合戦の終わりを告げる法螺の音が聞こえていた。
夜。
見張り以外の多くが翌日の為に体力回復を図り眠る中、の目は逆に冴えていた。
戦のことを考えれば、ここは無理にでも眠っておくべきなのだろうが、何となくそうする気にもならない。
どうしたものかとしばらく考えを巡らせたは、皆を起こさぬようそっと立ち上がった。
少し散歩をしようと思った。
篝火の僅かな明かりで足下を確かめつつ、あてもなくぶらぶらと歩き始める。
といっても所詮は陣の内側しか歩けぬ訳で、はすぐに行き場所を失ってしまった。
内と外とを分ける陣幕を前にして小さく溜息を吐く。
己が来た道を振り返って目を凝らせば、少し離れた所に別に区切られた一画があった。
信玄や幸村など、軍の中枢を担う者達の為の場所である。
今頃は彼らも眠りに就いている事だろう。
忍隊の者に身を守られながら。
はそっと視線を逸らす。
視界が一瞬霞んだように感じ、目を慣らす為に紺碧の空を見上げた。
綺羅星が散りばめられた好天だ。
「まだだ……まだ日数はある………今日はまだ……」
呟きつつ、強く拳を握る。
戦での昂揚がぶり返したようになる神経を無理矢理押さえつけ、は来た道を戻ろうと踵を返した。
その時だった。
「あれ、まーだ起きてんの?」
先程まで目をやっていた方……信玄らがいるだろう幕の内側から、そんな声と共に佐助が姿を現したのだ。
去りかけていた足を止め、声に応えるように振り向く。
幾分疲労の色は窺えるものの、常と変わらぬ様子の佐助がそこにいた。
「お疲れ、佐助。幸村殿達の見張りか?」
「ん、今交代してきた所。それよりも何でこんなトコにいるの?」
「ちょっと………眠れなくてね」
「ダメっしょ起きてちゃあ。寝とかないと明日が辛いぜ」
「それは分かってるんだけどね………」
苦笑してそう返せば、何故かじっと佐助の目が向けられた。
思いの外真摯な眼差し。
どうしたのかと首を傾げれば、佐助は小さく頭を振り何でもないと答えた。
かと思うと急に近付いてきての手を取り、そのまますたすたと歩き始める。
急な行動に戸惑って、
「ちょ、佐助っ!どこ行くんだ?」
慌てたような問いかけに、佐助が笑いながら振り向く。
「眠れないんだろ?話し相手位にはなってあげるよ」
武田軍、出陣いたしました。
前回のほのぼのとしていた日から半月程が経っている……イメージです。
どうも戯の書き方だと、話の合間合間の日数があやふやです。
戦場のイメージも曖昧模糊だし。雰囲気で読んで下さい……うーん。
少ーしヒロインが怖い感じです。
戦の場面で使ったような、そのキャラを象徴するような言葉で代用する表現とか好きです。
第三者的な視点からそのシーンを見てるような、名前も知らない人の動きっていうか。
客観的な表現が好き。
戯
2006.4.23
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