「あなたが……私の新しい小姓ですか」

「はい、と申します。一生懸命に仕えさせて頂きます」





戦で親と生き別れ、途方に暮れていた所をたまたま領主の屋敷に拾われたことは天恵だった。


見たことのない、けれど美しい髪の青年に、幼いながらも多少は心が躍ったものだ。


折角拾われ助けられた命、この方の為に捧げようと誓って。





「期待していますよ………私を幻滅させないで下さいね」

「はい!」





見せられた微笑に、声を弾ませて答えた。










   鴻飛天翔 こうひてんしょう  第二十二話










 一人は首を。
 一人は胸を。
 一人は胴を。


各部位にある急所に一太刀浴びせれば、面白いように人が倒れていく。


その誰もが、血を一滴たりとも流さなかった。


鼓動が激しくなり、目が霞み、腕が震える程の楽しさの中で唯一嫌なのが、血を浴びることだ。
それが無い今、斬れば斬る程口元に浮かぶ笑みが深くなるのが分かった。





「さぁ、次は彼を斬りなさい」





傍で光秀が囁き、ある方向を指し示す動きに従う。
そこにいたのは一匹の赤い虎。








ぴたりと、腕の震えが止まった。








刀を手に近付いても、虎は逃げも襲いかかりもしない。
ただ、高々と刀を掲げるをじっと見つめてくるのだ。


その虎の目に捉えられ、は急に腕が振り下ろせなくなっていた。


虎に射竦められたか。
違う。
何者かが腕を押さえているのだ。


視界の端に映る、腕を掴む白い手。
それが繋がる先を目で辿ると、真後ろにがいた。





      邪魔をするのか





止してくれ。
私はこの虎を斬らねばならぬ。


はじっとを見つめたまま、何の反応も示さない。








かと思うと、急に腕を押さえていた力が消え去る。
それは背後から気配が消えるのと同時で、刀を持った腕は抵抗の対象を失い、勢いのまま前方に振り下ろされた。


手に伝わる感触。


目を戻す。


足下に虎の首が転がっていた。


首があるのに胴体が見つからず、探して視線をあげると、前にが立っていた。


胸を押さえ、眉を寄せた様はひどく苦しげだ。


ふと、己も胸の辺りが苦しいことに気が付いた。
丁度前に立つが押さえている辺りである。








締め付けられるように苦しい。








そこで漸く理解が生まれた。





      あぁ 目の前のは自分だ





赤い虎を殺してしまった事が苦しいのだ。




















 意識が浮上した途端、瞼越しに差してくる強い光に、はきつく眉を顰めた。
目が光に慣れるのを待ってから、うっすらと開く。


見たことのない光景が広がっていた。


自分の部屋ではない景色に驚いて、戦場に来ているのだと思い出すまでに相当時間がかかった。
内心慌てた自分を恥じながら、身を起こそうとして手を動かす。


そこで自分が何かを握っていることに気が付いた。


それは人の手である。
そして手を辿った先にあったのは、目を閉じた佐助の顔。
近い所にいた佐助に、戦場に来ていた事を忘れていた先程以上に驚く。


何故。
混乱する頭で何とか思考を巡らせ、ようやく眠る前に彼の手を握ったのだと思い出した。


それから丸一晩。
今目覚めるまでずっと離さないでいたのかと考えると、恥ずかしさに頬を染めざるを得ない。





佐助が起きた時に何と言い訳しようか考えつつも、手の温もりがそんな思考さえ宥めてしまう。





「殺したくない………のか」





は握る佐助の手に額を当て、目を瞑り呟いた。


この戦の内に、信玄の首を討ち取らなければならない。








      これは世の理そのものでしょう?

      それが楽しいという感情なのです








今まで命じられたことは全て完遂してきた。
戦場を彷徨い歩くようになったのも、楽しませるだけ強くなれと命ぜられたからだ。


それから数年を経、大分強くなったと思う。
命を賭けた地での抜刀は確実に腕を上げてくれたし、またその一方で、命じられたことを大義名分に人を斬ることを自分自身も楽しんでいた。


光秀の命令と己の思考は、ある面に於いて一致していたのだ。








けれど今回の命令ばかりは、無感情に遂行するのは無理だろうとは感じていた。
それが夢を見た感想である。


夢に出てきた赤い虎は、きっと信玄を暗示している。
そして振るおうとしていた刃を止めたのは………自分自身。








光秀に従い斬るには、信玄はあまりに親しくなりすぎた。








刀を腰に下げ、光秀に従い人を斬るようになってから初めて、は斬りたくないという思いを自覚した。


悲痛な思いが胸に満ちる。


斬りたくない。
斬りたくないのに、命に従わなければという意志が働き、板挟みにされ苛まれる。





一時、手の中の温かさに思考の全てを委ねた。
そうして心を静めた末に湧き上がる思いを、口にする。





「私を、止めてくれ…………佐助」





願った。
自分では止められぬ、信玄の首を取ろうとするこの両の腕を、目の前で眠る佐助が止めてくれることを。


捕らえられ、自分の首が刎ねられることになったとしても構わない。
そうなった時、そこには自分の思いを裏切るような要素は何処にもない。


佐助が止めてくれたが故の結果であるのなら、そこに後悔など一つも無かった。








握る力を緩め、佐助の手の甲を一撫でする。


骨張った、自分よりも一回りは大きな手。
その手が武器を持ち、己の前に立ちはだかる姿を想像して、は不思議と満たされた。


人生の終わりへと繋がるにも関わらずそれを望み、希望を込めた眼差しで佐助を見上げる。








かちりと、視線があった。








咄嗟に状況が飲み込めず、一度ゆっくりと目を瞬く。


より少し高い位置にあった佐助の目が、開いていた。


目覚め。
それをの頭が受け入れたのは、寝起きの直後でどこか気怠げな眼差しに見つめられ、





「……………おはよ、





掠れた声で朝の挨拶をされ、背に回されていた手に抱きしめられてからだった。


互いの体が密着し、かつて抱え上げられた時よりも更に近い胸板を眼前に捉え、は。





「佐助ぇぇえっっ!?」

「おー、朝から元気がいいねぇ」

「いいねぇ、じゃなくて!ち、近いっ、近いからっ!!」

「そりゃまぁ、抱いてる訳だから?相変わらず小さいなぁ。少し痩せた?」

「え、どうだろ……………じゃない!!とりあえず放そう!な!?」





起き抜けで凪いでいた精神が、一気に混乱の様相を呈するのだった。


初めて佐助が抱きしめた時よろしく腕の中であわあわと狼狽え、必死に放してくれと訴える顔は真っ赤だ。
面白がった佐助が腕の力を強めると、悲鳴のような呻きのような恐慌に陥った叫びが発される。


常では見られないの珍しい反応に、ふと佐助に悪戯心が湧いた。


の耳元に顔を寄せる。





「つれないね…………一晩中俺に縋って放さなかったのは誰だっけ…………?

「み、耳元で囁くな……っ!んなっ、意味ありげな含み持たせるような事してな………っ!!」





吹き込むようにして囁けば、一層赤くなって身を小さく丸めた。


普段の泰然とした所からは想像も付かない慌てよう。
佐助はこみ上げる笑みを堪えようともせず、確かに胸の内に宿る愛しさを感じつつ、の反応を楽しんだ。










同衾などすれば、何もなくとも噂は広まるもの。


その日の朝飯時には、二人の痴話喧嘩を聞いたなどという噂が全軍に蔓延し。


その噂を耳にした幸村が、二人を見つけるなり「破廉恥でござる」と叫びながら逃げるように走り去り。


事実無根とも言い切れない辺りは無視するとして   「破廉恥」なことをした覚えなどない二人は慌てて幸村を追い。


説明、証言、納得させるという苦労が待っているなど。


この時点での二人は、全く考えてもいなかった。




















前回に引き続き、「破廉恥でござる!」な今回の話。「破廉恥である!」だっけ?
うん……佐助って……そういうキャラなんじゃ………ないかな………(言葉攻め
や、忍だから技術もあるでしょうがね!閨房術とかね!
(レッツ反転。苦手な人は注意)

出兵前の話と同様、閑話休題的な今回の話。
次の話から少し真面目になります。
今暫くお付き合い下さい。



2006.5.5
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