鴻飛天翔 こうひてんしょう ―剣の舞―
周囲の音が聞こえない。
あるのはただ、己と「彼」とが打ち合わせる剣戟の音のみ。
互いの息遣い、足捌き、衣擦れの音、生じる全てが融け合い、一個となる錯覚。
顔面に真っ直ぐ突き出されてきた刀の切っ先をかわし、応じるように苦無を振り抜きながら、どれ程の時間こうして対峙しているのかと、ふと考えた。
実力の拮抗する相手との仕合は、時の感覚を失わせる。
自分の刃が相手に届いたのは初撃、不意を狙った一回だけ。
こちらの敵意殺意に応じる準備が出来てからの『鴻飛幽冥』は、予想していた以上に腕が立った。
彼の刃は届かないが、こちらの刃もかわされる。
防具を一切身につけない、普通に街を歩くような、合戦に似つかわしくない程の軽装も、恐らく刃との距離を遠く感じさせる原因である。
防御と速さを天秤に掛けて、合戦に出る武将足軽ならまず防御を取るであろう所を、彼はその逆を選択した。
捨て身とも取れるような考えられない選択であったが、彼にはそれが幸いしたようだ。
元々の素質もあろう、身のこなしと刀の扱い。
彼は、具足を身につけては発揮されないそれらの素質を持っていた。
どのような経緯があって、或いは経緯など無いのか、至極軽装で戦場に立つに至ったのかは知り及ぶ所ではないが。
遙かに命を落としやすいその選択あってこそ、彼の存在はある種の畏怖を持って戦場に伝えられるようになったのだろう。
先の黒い翼をはためかせ、藍と紅の風の尾を引き、戦場を駆ける白い鳥。
武田軍に見えた彼の存在は、上杉に混乱を与える為の策ではない。
本物の『鴻飛幽冥』なのだと、こうして打ち合わせてみた今となっては認めざるを得なかった。
ならば なおのこと
この鳥を、この場で討ち取らなくては。
武田と共に攻め寄せてきたこの鳥を放っておけば、じきに上杉軍の混乱、士気低下につながる。
謙信の御心を煩わせる原因になる。
実際の戦力となる足軽達の士気に、かの鳥は易々と介入してみせるからだ。
先程の不意打ちの時に付けた傷から流れた血に濡れた、まだ喉骨も発達していない滑らかな白い首筋目がけ苦無を投げつける。
これもやはりかわされたが、いずれはこの切っ先をその急所へと突き立てるだろう。
突き立てなければならない。
凛とした、怖れなど知らないような表情で立ち向かってくる、年若い武田の鳥。
その命を、絶つ為に。
謙信の為とはいえ、己が認められるだけの腕のある若い命を狩らねばならない無情に、胸のどこかが痛み。
「強いな。」
「………っ!?」
唇を強く引き結んで微塵も表情を変えることのなかった鳥が、ふと笑って見せたのに、意表を突かれた。
刹那、今一歩深く踏み込んできた鳥の刀が、渾身の力で前へと突き出される。
彼の切っ先が狙うはかすがの首。
その攻めの手には頭よりも先に体が反応を見せていた。
間合いに関しては相手の方に分がある。
その差を埋めるべく、層倍する鋭さで彼の喉元目掛け苦無を突き込む。
二つの切っ先が狙う、互いの首。
俄に訪れた、真剣勝負の終止符。
先に届くのは、いずれか。
「上杉軍、撤退せよ!!」
いずれでも、なかった。
「………っ!!」
久方ぶりに耳に届いた、彼我のものではない声。
大気を振るわす太鼓と法螺の合間に聞こえる撤退命令に、かすがははっとして即座に苦無を引く。
身を翻して彼の刀を避けながら、爪先で地を蹴り高く飛び上がった。
急に目標を失い勢い余りたたらを踏む鳥の姿が遠くなる地にあったが、それには構わず手近な木の枝へと降り立つ。
そして、素早く両軍の状況を確認した。
武田軍別働隊が優勢なのは自明。
彼らを迎え撃つべく妻女山本陣に残り奮戦した武将、甘粕景持も、この戦況を覆すのは流石に無理だと考えたのだろう。
退く時期としては、自軍の被害を最小限に留める為にも、別働隊の本体との合流を阻む時間稼ぎとしても的確だ。
妻女山の兵が撤退するなら、ひとまず自分がここにいる必要はもう無い。
いかに『鴻飛幽冥』の影響力であろうと、退く兵に対してはその威は関係ないからだ。
甘粕軍を撤退を受けた武田軍別働隊は、すぐに山を下り上杉本隊へと狙いを定めるだろう。
『鴻飛幽冥』をこの場で討ち取れないのは口惜しい事だが、この際仕方ない。
無理に討ち取ろうとしている間に、一万二千の兵に抜かれ謙信率いる本隊を危機に追い込んでしまっては事だ。
御心を曇らせてしまうかも知れないが、優先すべきは武田信玄と相見えたいという謙信の意志。
それを遂げさせる為にも、武田軍別働隊より先回りして、謙信の剣とならなければ。
「上杉のくノ一」
足下の木を蹴ろうと力を込めたのと同時、どこからか声をかけられる。
動きを止め地を見下ろすと、視線の先には鳥がいた。
切っ先を下げ、まだ戦は終わっていないというのに体の力を抜いた姿勢でこちらを見上げている。
「他に狙うべき首がある中、何故私だけに挑んだ?」
真田に高坂、確かに狙うべき首は他に幾らでもある。
将を討った方が、軍の為にもなるだろう。
しかし、今のかすがが己に課している役目は、軍の為になる行いなどではない。
退けたいのは、謙信の御心に翳りが生じる事。
取り除くには、『鴻飛幽冥』を討ち取る事。
残念ながら今この場で討ち取る事は叶わねど、次に見える時にはこの手に必ずその首を収める。
その時は、湧く胸の痛みも押し殺して、その命を絶ってみせよう。
「全てはあの方の為」
樹上と地面、距離を置いた先で、こちらを見つめる目を受け止める。
刃を交えていた高ぶりなど微塵も表に出さない、静かな目だ。
同じ軍にいるというのに、虎の若子とは雰囲気を異にし過ぎではないだろうか。
しかしその視線の一途さには似たものを感じ取れる。
眼差しを一身に受けていたかすがは少しだけ動揺し。
振り払うように、枝の上から姿を消した。
多くを語らず、風を切る音だけ残して忍は消えた。
その余韻を枝の揺れに見ながら、は一つ息を吐く。
未だに心の臓が速く鳴っている。
久々に
楽しいと感じる打ち合いだった。
農民上がりの足軽の刀や槍に頼り切った攻めや、実践向きである事に重点を置かれた剣術を身につけた武人とは違う。
上杉のくノ一の、流れるような速攻を受けてみて、異質の技にはっとさせられた。
自分は性に合っていたから、彼女は忍という生業から。
共に戦闘に求めている物は速さと正確さである事は刃を交えてみて分かった。
間合いも型も得物もまるで違うのに実力が拮抗していたのは、そういった類似点があった為であろう。
今まで相対した相手には通じていた自分の技が度々止められてしまったことが、面白いと思ってしまったのだ。
命を狙われながらも、また相見え、手合わせをしたいと思う程に。
身のこなしに似たようなものを感じたが
「何か縁でもあるのか……」
彼女との仕合を思い返してみると、その動きに被る者の姿がある。
『彼』と彼女は何か関わりがあるのではないか。
双方とも忍を生業としているのだから、もしや流派が同じという事があるのかも知れない。
本人達が知っているか知らないかはともかくとして、その可能性はあるだろう。
この戦が終わった後で聞いてみよう、と思った。
そして、少しだけ緩めていた表情と体を引き締め、地を蹴る。
上杉殿軍の撤退を受け、武田軍別働隊も八幡原に布陣する本隊と合流するべく動き出していた。
地鳴りのように響く人の足音の中に、錯覚だろうか、焦りのようなものが含まれているように聞こえる。
実際に兵士達が焦っているのか、それとも自分が焦りを抱いているせいか。
忍と打ち合いを始めた頃、意識の端で間延びした銃声を幾つも聞いた。
間延びしていたのは距離があるからだ。
下の八幡原で既に合戦が始まってしまっているらしい。
あの音が聞こえてから、今はどれくらい経ってしまっているのだろう。
本陣を叩くのに半数以上を割いてしまったから、兵力では武田の方が不利。
それを覆す為には、一気に下山して、上杉本隊に後方から攻めかからねばならない。
だからは走り出していた。
刀を握る手を強くして、散漫になっていた集中力を再び集束し、見つめる先は八幡原。
具足を纏った足軽兵達などより尚速く、信玄の許へと逸る気持ちのまま走る。
上杉陣跡を抜けた先は、緩やかに下る山道だった。
そこに差し掛かり、低い木の枝を避けるのも煩わしく駆け下っていると、
「乗れ!徒歩より馬の方が早い!!」
にわかに馬蹄の音が轟くや、後ろから追いついてきた幸村が、馬上から手を差しだしてきた。
返事をする余裕も無く、無言で見返した先にあった顔は、眉を顰め唇を噛みしめている。
上杉の手が迫る前に、何としてもお館様の許へ。
そんな焦りとも不安とも取れる色が浮かんでいた。
自分と同じだ
恐らく自分も似たような顔をしているのだろうと考えると、少しおかしかった。
しかし笑いは出てこない。
今はただ、早く信玄の許へ馳せ参じたい思いのみ。
その思いのままに、より早い手段である幸村の方へ、走る足は止めずに手を出す。
刹那、伸ばされていた手が更に伸びてきて、気付いた時にはの体は脇から抱えられていた。
突然の引き寄せられる感覚に面食らっている頃には、既に両足は宙である。
全く強引な乗せ方。
それもこれも、彼の焦燥から生じた行為だろうか。
「ぅお館様ァァァ!!」
背に幸村の雄叫びを聞く。
途端にぐんと速度を増した馬に、振り落とされないよう反射的に手綱を掴んだ。
馬の乗り方は知らないが、幸村の片腕が胴に回されてもいるし、しがみついている事ぐらいなら出来よう。
ただ、もう片手が槍を握っていて、馬と幸村を繋ぐのは彼の脚力だけという所に多大な不安を覚える。
といっても、馬に乗れないには幸村を信頼して身を預けるしか出来ないのだが。
胴を支える腕の力が強くなる。
幸村の心は既に信玄の傍へと参じているのだろう。
体がなかなか追いついて行かないから、その焦りで力んでしまっている。
それすらも、自分と同じだ。
手綱を掴む自分の手がうっすらと汗ばんでいることを感じながら、は馬の速さに怯むことなく前を見据える。
体と心の離れた距離が縮まるように。
「お館様……ご無事で」
虎若子と鳥を乗せた馬は、真っ直ぐに山道を駆け下っていった。
かすがちゃんと一戦。あっさり終息。
戦闘シーンとか好きな癖にいざその場面になると技量が足らずあっさり終わらせちゃうの止めようよワシ…
そして幸村…脇抱えて引っこ抜く(ピ○ミン)とか……旦那……破廉恥っっ!!
その馬に乗せてくれ!振り落とされそうな危険な香りでいっぱいだけど!!
そして(匂わせる一面はありつつ)佐助が一片たりとも出ていない。(デジャヴ
戯
2008.1.8
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