鴻飛天翔 こうひてんしょう ―剣の舞―
高らかに三度、打ち合う音が武田陣営に響き渡る。
片や馬上から長光を振り下ろし、片や床几に腰掛けたまま軍配をかざし。
繰り出された斬撃を受け弾いて、三度。
赤い虎と白い竜の邂逅は、それだけで十分である。
「お、お館様っ!」
「顔を合わせるのは久し振りじゃのう、謙信」
「息災そうで何よりです、甲斐の虎よ」
本陣に単騎乗り込んできた敵騎馬武者の姿を捉え、血相を変え駆け寄って来る武田軍兵士。
彼らがここに至るまでには未だ距離がある。
それが分かっている為か、騎乗した龍は悠々とした所作で、床几に腰掛ける虎との間合いを取った。
虎の方も、攻めの手から解放されたからといって床几から慌てて立ち上がるという無様な体は見せない。
「今のは挨拶代わりです。貴方様との本当の対峙は……」
「未だ時満ちぬ……か。良かろう、戦の勝敗が決したらば、また相見えようぞ」
龍の長光を軍配で受けた虎であったが、捌ききれず龍の刃が届いてしまった腕から、血の滴が一つ落ちた。
その傷すらも挨拶の内であるというのか、龍が微笑った。
冷静な会話の合間に秘められたるは、他者を寄せ付けない稀有な絆。
それを確かめて満足したかのように、龍は馬首を返し、それ以上何も言わず去っていった。
後に残った虎の傍に、兵士と救護班が駆けつける。
虎は治療の間もずっと前を見据えていた。
即ち、龍が去っていった方角、その先を。
「勝者はいずれか……」
現段階では自軍の劣勢。
これが覆るか否かは、妻女山に遣った別働隊の到着如何にかかっている。
自軍が持ち堪え抜くか、彼の軍がこちらを打ち破るのが先か。
「天に問おうぞ、軍神よ!!」
「軍師さんったら責任感じちゃってまぁ……」
木に登って地上の戦況を確認していた佐助は、見たことのある兜が武田本陣から飛び出していくのを見た。
それを目で追って、漏れたつぶやきは呆れでも気遣いでもなく、ただの事実。
武田をこの不利な状況に追い込んだのは、勘助が進言した策に起因するからだ。
敵は車懸かりの陣で、兵力を温存しながら攻めてくる。
対する武田は、妻女山から別働隊が戻るのを待っている為、今は応戦するのが手一杯。
二手に分けた事による兵力差もある事から、武田本隊の兵力はどんどんと削られていく。
策を看破されこの状況を作り出してしまった勘助が自ら出陣し刀を振るい出すのも、一軍の動きを預かる身としては当然の心の動きだろう。
「だからってあんなどんどん突撃してったら孤立する……って、あーほら言わんこっちゃない」
決死の突撃は上杉軍の一角を崩すには功を奏したが、相手の陣形は車懸かり。
すぐに崩した一団の後ろに控えていた第二陣が押し寄せ、勘助の率いる隊は上杉の兵に飲み込まれそうになっていた。
命を賭して…という気持ちは分からないでもない。
だが軍師らしくもなく、何の策もなく突っ込んでいくのでは、あまりに無謀というものだ。
軍を動かす時の思考を忘れているようだ
「無謀な攻めでも構わないけど、あの人は武田にとって重要な人だからね……っと」
一つ息を吐いてから、軽い屈伸運動。
それまで物見に徹していた姿勢から、戦忍として働く準備をした。
武田の為に、軍師山本勘助を助けに行く。
ここで彼に討ち死にされては、武田は大きな物を失う事になるからだ。
勘助とは格別個人として親しい訳ではない。
あくまで戦忍としての本分で行動を起こし、
「…あれは……」
留まっていた木の枝を蹴り、宙へ飛び出したところで、一つの騎影が川を渡ろうとしているのに気付いた。
佐助の動きに呼応して現れた鳥の足に捕まり、滑空することで落下速度を緩める。
それによって視界が安定した所で、影を捉えた方向に向け指で円を作りそこを覗く。
狭められて明瞭になった視界に映ったのは、見慣れた姿だった。
「旦那……と、?」
馬の背に確認できた紅の衣は、己が主、真田幸村であった。
そして彼の前に同乗しての姿も窺える。
信玄を慕う者同士、妻女山からの一番駆けらしい。
彼らの思考を考慮してみれば、どちらかが一番駆けしてくるだろうことはある程度予想はついたが、二人乗りで下山してくるとは。
思わぬ選択をして現れた二人に、佐助は少しだけ驚かされた。
と同時に、不意に沸き起こったのは、何故だか面白くないという思い。
佐助はまだ小さい騎影から目を離し、その思いを振り払おうとした。
今は合戦の真っ直中である。
物理的に手の届かない所にあるものに対して、どうしようもない事を考えている暇はない。
今はただ、戦のことのみに専念するべき時。
「……ま、今はお仕事お仕事、っと」
軽い調子の言葉を呟き、騎影から目を外す。
当初行おうとしていた目的の通り、加勢しようと勘助の許へ向かうが。
それでも佐助の内心には、変わらず釈然としないものが蟠っている。
「むぅ…こちらがやや押されているか……」
八幡原での合戦の状況がはっきりと視認できる距離にまで近づいた頃。
馬が川の水を蹴り上げて散った飛沫に足下を濡らしながら、厳しい顔で幸村が呟いた。
彼の前に座りその声を耳にしたは、幸村の見解の正しさを自分の目で理解していた。
軍を幾つかのまとまりに分け、一つずつ武田へとぶつけていく上杉軍。
迎え撃つ武田軍も奮闘しているが、一団を崩したと思いきやその後ろから無傷の一団が現れてくる。
武田が次の一団を相手している間に、崩された軍勢は体勢を立て直し隊列の最後尾へと並び、自分達の次の攻め手の番を待つ。
常に敵を相手にし続けている武田軍と、崩されたら無理せず退き兵力を温存する上杉軍。
どちらが先に疲弊してくるかは、自ずと分かるだろう。
現に、別働隊に兵力を割いてしまったことによる焦りもあってか、武田の足並みが徐々に乱れ始めている。
自軍が崩されていく様を見るのは気持ちの良いものではなかった。
だが、
「幸村殿」
「応!」
幸村に呼びかけたは、笑っていた。
自軍の劣勢を見た上で、そんなものは何でもないことであるかのように。
八幡原に向けていた視線を外し、背後を振り仰ぐ。
一度は厳しい顔をして見せた幸村もまた、力強い笑みを浮かべていた。
「本陣までは、まだ攻撃は届いてないようですね」
「うむ、この程度ならば巻き返せる!!」
妻女山を下り始めた頃の焦燥感は、戦況を目にした時にすっかり失せてしまっていた。
幸村がまだ巻き返せるといったのは、決して状況に不利を感じた己を鼓舞する為の強がりではない。
押されているが武田は、全兵力の半数以上が不在の中でも士気を失わず戦っている。
不在の兵力がいずれ到着し、上杉を挟撃することを信じて。
それを見て、らは未だ武田が勝機を失っていない事を悟ったのだ。
妻女山から別働隊が到着すれば、確実に戦況は覆せる。
別働隊の第一陣とも言える自分たちが先行して到着した。
これは勝利への足がかりが掴めたということに他ならない。
は幸村を見上げていた視線を、規律のとれた上杉の軍勢へと向けた。
武田が押されているのは、あの一糸乱れぬ行軍による所もあるだろう。
勝利を引き寄せるには、あれを崩すことも肝要。
馬が蹴り上げるものが水飛沫から馬埃へと代わり、一瞬毎に上杉本隊へと近づいていく。
言葉は交わさずとも、幸村と自分の意志が一致しているのは分かっていた。
その証拠に、を支えていた幸村の腕が、意志を汲んだようにの下馬を助ける動きを見せている。
「お館様の助けとなる為、敵陣へと斬り込む!!」
「承知。」
幸村の宣言に応じながら、は彼の手を掴み、走る馬の背を乗り越えた。
一瞬の浮遊感の後地を踏んだ足は、馬と並走するように動き出している。
順番待ちをしている上杉軍の一部がこちらの動きに気付いた。
上杉に迫った二人は、
「永遠に鬩ぐ運命に哭け」
「真田源二郎幸村、参るっ!!」
それぞれの名乗りを上げ、敵陣へと突入した。
「三太刀七太刀」を入れてみました!!信玄対謙信。
うぉぉぉもう一度行きてぇ川中島!!
勘助の場合、佐助の呼び方はどうなるんだろうと考えてみて、普通に「軍師さん」呼ばわりで落ち着きました。
勘助が敵軍に突撃していっちゃいましたが史実思い出してベコみます。ベコ。
戯
2008.1.15
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