鴻飛天翔 こうひてんしょう  第五話










 向かい来る幸村に対し構えの姿勢を取るを見て、拙い、と焦りが佐助の胸を満たした。

は佐助が幸村に仕えている事を知らない。
加えて幸村の事も知らないのだから、彼の事を敵だと思っているのではないだろうか。
心配する佐助の視線の先で、案の定、例の鳥のように見える袖を広げて、真っ向から走り寄せている。

幸村は決して弱くないが、それはにも言える事だ。
どちらが勝つにしても、傷もなく無事でいられるとは断言でき出来ない程に、二人の実力は伯仲していると言っても良い。


「斬るな!!!」


佐助が走っても間に合わない距離で、二人が打ち合おうとしたのを見て、咄嗟に口を突いて出た叫び。
聞き届けたのか、の剣先が一瞬鈍ったように見えた。

その呼びかけが原因となったのだろう。
躊躇した刀は行き場を無くし、槍を受け止める間もなく、刀と操り手が分離する。
幸村の槍がの体を打ち据えた時の衝撃音は、佐助の位置からでもはっきりと聞こえた。

槍を受けた小さな体は横っ飛びに飛び、その先にあった剥き出しの岩に叩き付けられる。
佐助が見ている先で、ずるずると力なく岩肌を滑り落ちて行くに、幸村が足早に近づいていく。


「貴様は何処の国の者か」
「…国………?」


槍の柄は、脇腹の少し上に入ったように見えた。
喋る事も辛いだろう状態で苦しそうに咽せるを、見下ろしている幸村。
無抵抗で力なく地に倒れる相手を警戒して、槍の穂先を突きつける幸村の前に、佐助は割って入った。


「旦那ちょっと待った!その槍収めてくんない?」
「佐助!」


突然目の前に現れた佐助に、幸村の目が驚きに丸くなっている。
しかしに向けている槍の穂先からは敵意が失せていないのへ、佐助は危ぶみながらも、簡潔に事の次第を語る。

は、佐助が右肩を負傷した為に臨時で雇った者で、敵ではない事。
連れ立って戻ってくると、夜襲を受けている場に遭遇した事。
国境に集中している敵の背後から混乱を誘う為、に追加で協力を仰いだ事。

初めは何故自分の前に立つのかと怪訝な顔をしていた幸村も、佐助の話を聞いている内、その表情を改めてきている。
知らなかったのだから仕方がない事とはいえ、敵の夜襲に対しこちらへ味方してくれていた者に槍を向けるなど、と。

に切っ先を定めていた槍の穂先が、地面へと落とされる。
幸村から敵意が消え失せたのを感じ、佐助はそこで初めて、背にしたに向き直った。


「結構強く入ってたな…大丈夫か?」
「踏み込んで……槍の柄、で受けたから………斬られちゃいない。……っぅ」
「…もう喋るな、分かったから」


そっと抱え起こしてやった途端、の表情が歪む。
打ち据えられた直後よりも、呼吸は大分ましになっているのだろうが、それでもこの調子である。
肋骨にひびでも入ってしまったかも知れない。

覗き込んだの顔、岩に叩き付けられた時に切ってしまったのか、口の端から血が滲んでいる。

手を取りたいと、戦場近くの林の中で思った、あの時の顔が想起された。
だが今回は、その時と同じ感情は起こらない。
代わりに、労るように親指の腹でその血を拭ってやった。

すっと、顔の横に何かが差し出されるのを感じ、横を見る。
幸村がの刀の刃の部分を持ち、柄の方をこちらに差し出していた。


「佐助はその方を連れて屋敷へ戻れ。後は拙者一人でも十分守れる」
「旦那?」
、と申されたか」
「…はい……」
「…御味方とは知らず、槍を向けてしまった事………申し訳ござらぬ」


弱々しい手つきでが刀を受け取ると、幸村は深々と頭を下げた。
謝られたはいきなりの事で瞠目し、それを支える佐助は幸村の律儀さに苦笑する。

一拍の間をおいて頭を上げた幸村は、気持ちを切り替えたのかくるりと踵を返し、烈声を上げて再び敵がいる方へと走り去っていった。
取り残していく二人にかけていく言葉はない。

は、目の前から走り去った幸村の背を、青ざめた顔できょとんとして見つめた。
佐助も同じように、幸村の去る姿を見送っていたが、付き合いの長い分立ち直るのはこちらの方が早い。

まだ呆けているの手から刀を取り、鞘に収めてやってから、慎重に抱き上げる。
その際やはり苦痛に顔を歪めていたが、少しの間だけ我慢して貰う他ない。


「……んじゃ、旦那の言葉に甘えさせて頂きましょうか」


国境までの道は、ここまで突っ走ってきた幸村のお陰で開けている。
手負いの者二人にとってこれは非常に有り難い。

負傷していない左腕でを抱え上げ、右手に手裏剣を携え、佐助は走り出した。




強襲軍鎮圧の報が甲斐武田の許に届いたのは、それから半刻を過ぎた頃の事である。















 幸村との邂逅から四半刻を経ずして屋敷に辿り着いた。
帰国した事を門番に告げ、開門を待つのももどかしく、人を抱えた体が通れる幅が生じるやすぐに門に身を滑り込ませる。

本来ならばこのまま真っ直ぐ幸村の主君、武田信玄の待つ所へ向かうべき所を、敢えて進路変更し、医師の下を目指す。
先日自分が負った傷の手当ての為ではなく、腕に抱えたの為に、である。

少しでも痛みから逃れようと、腕の中のは浅く呼吸を繰り返している。


「先に仕事の方、済ませてくれ。怪我なら少しくらい大丈夫だから…」
「何言ってんだ、その様子じゃ待ってる間が辛いだろ。医師んトコ運んでからでも遅くはないさ」


走っている衝撃がの傷に響かない様、足運びには注意している。
それでもこの苦しげな様子であるとすると、状態は決して軽くないだろう。
仮に任務の報告を優先させたとして、この状態では報告の最中も気が気でなくなる。

ならば早い所医師に任せてしまった方が、お互いに心身の負担が軽くて済むというものだ。

そう判断して走る内、ふと、これまでとは違う息づかいが佐助の耳についた。
何事かと目を腕の中に落として、見えたものに呆気にとられる。


「………何で笑うかな」


何か面白いこと言ったっけ?と尋ねる。
痛みで紙のように白くなった顔が佐助を見て、微笑を浮かべていた。
音として笑いを表せたのは、佐助が耳にした吐息だけだったようで、それ以降は同じように苦しげな浅い呼吸を繰り返している。

真っ直ぐ佐助を見ていた眼差しが、ふいと進行方向に逸らされた。
目が逸らされても、相変わらず微笑は浮かべられたままだ。


「いや……こんな時に思うのも何なんだけど……名前、初めて呼んでくれたな、と思って」
「名前?」
「名前。…今まで、お互い『あんた』で会話が成立してたから」


言われたことを反芻してみて、成る程そう言えば、と納得する。

護衛を頼んでからというもの、ほぼ一日中と行動を共にしている。
その行動を共にしている間は当然会話もしたが、思い返すと、彼に教えられた名を呼んだ事は一度とてない。
指摘通り、互いに『あんた』と呼び合って会話が成立していたし、名前で呼んで欲しいと言われた事も無かったからだ。


「……そういえばそうだな。嫌だった?」
「いいや。…呼ばれた状況が状況だけに、少しだけ…複雑だけど」


『斬るな!!!』

己の知る人物に向けられた殺意と刃を止める為に名を呼ばれた。
確かに心中複雑になるのも分かる。

思わず苦笑した佐助を、再びが見やる。


「あんたは名前、教えてくれないのか?」
「名前…か。知りたい?」
「駄目なら別に……無理強いはしない。でも、出来るなら私も、あんたの事名前で呼びたい」


どうだ、と、佐助の表情を窺いながら、真っ直ぐ向けてくる眼差しで問うてくる。
それを見返しながら、ふと、の眼差しに既視感を覚えた。

初めて出会った時に感じた、奇妙に虚ろな印象。
それを、今のにも感じたのだ。

ともすれば引きずり込まれそうになるその目から、逃れるように視線を逸らす。
そして、視線を逸らした事を誤魔化すように、敢えて気のない体を装い、


「猿飛佐助。…まぁ呼び方はお好きにどうぞ」
「…猿飛……面白い姓だな」
「………教えて貰っておいて第一声がそれ?」


名前を教えて、返ってきた反応が「面白い」。
自分でも確かに変わった姓だとは思うが、まさかそう返ってくるとは予期していなかった為、危うく脱力しかけた。
脱力して体勢を崩し、を放り投げるような事態を防いだだけ、偉いと思って欲しい。


「……まぁ良いけどね」


好きに呼んでくれと言ったのを撤回する気はないから。
言いながら、佐助の心中は、まさしくが言った所の「複雑」なものであった。




さほど時間もかからず、正面に医師の詰め所が見えてきた。
敵軍強襲の報を受けている為、負傷者の受け入れ態勢は万端に整えられている筈である。
部屋の前で足を止め、表から呼びかけると、男が顔を覗かせる。
医師の一人であった。

その医師にの手当を任せ、佐助は直ぐに踵を返す。

こちらの用が終わったなら、次は己の任務の番だ。
佐助は任務で赴いた先で調べた結果を伝える為、信玄が待つであろう部屋へと足を急がせた。




















受け身も取らず幸村の槍を受けたのはそんな理由でした。
……いや、柄でも十分痛いとは思いますけど。
敵の攻撃に敢えて踏み込んでいって、ダメージを最小限にとどめるとかそういうの格好良くて好きです。やりませんけど(当たり前だ)

いまいち幸村の人格が掴みきれない。



2006.3.13
2008.3.6 加筆修正
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